SPECIAL CONTENTS 「勝てる脳」のきたえ方 「心」と「技」に脳科学で迫る 連載第12回 (後編) | 2018.4.16

音楽とスポーツの密なる関係(後編)

全身を最適にコントロールするために必要なこと

プロの動きと素人の動きは、なぜ大きく異なって見えるのか。プロの動きが美しく、しなやかに見えるカギは、脱力や重力の活用、そして全身をコーディネイトする能力にある。楽器演奏とスポーツに通じる身体技術向上のポイントについて、音楽家に資する研究を手がける古屋晋一氏とともに、脳科学の観点から考察する。


全身の動きを正しく導くことで技術を向上させる

—楽器の演奏でもそうですし、あるいは脳卒中の硬縮などもそうですが、一度、ついてしまった癖を取るというのも、非常に難しいですね。

古屋 難しいですね。それこそVR技術を使うとか、動画などで自身の動きをフィードバックするなどして、身体へ意識を向けるようにして、正しい動きを身につけていくというのが、正しい修正法だと思います。

柏野 トップアスリートクラスになれば、さまざまな感覚情報を活用して、自身で動きを修正していくことができるのかもしれませんが、まだそこまで到達していない段階の人だと、自分がいま、どういう状態になっているのか、という情報が圧倒的に足りないんですね。まったくセンサがない状態で、やみくもに動くことになってしまう。そうした中で、適切な力の入れ具合やタイミングがわかる方法があれば、きっと役立つと思っています。それは視覚がいいのか、音がいいのか、触覚がいいのかは、動きの内容にもよると思いますが、適切な感覚フィードバックの手法を開発したいと考えています。

我々がスポーツ脳科学プロジェクト(Sports Brain Science Project)の中で開発している身体の動きと音を対応させる可聴化システムでも、慣れてくると、身体のある特定の部位だけを自在に動かすなんてことができるようになるんですよ。

古屋 面白いですね。アメリカで僕が受けた、音楽家に対する身体教育の授業では、座り方を変えて重心の変化を感じたり、鎖骨の回転を意識させたりというトレーニングを行っていました。身体の個々の部位に意識を向けて動きを確認することで、パフォーマンスを向上させることができるんですね。

柏野 スポーツでも音楽でも、あまりうまくない人というのは、局所的な動きだけでなんとかしようとしがちですよね。ただ腕だけで投げようとしたり、指や手首だけでピアノを弾こうとしたり。一方で、上手な人は全身をうまくコーディネイトして、各部位の力を巧みにコントロールしています。

古屋 以前にやった打鍵に関する研究でも、素人は手首のしなりだけを使うのですが、プロのピアニストの場合は、肩や上腕など、より大きな筋肉を使って楽に打鍵していることがわかりました。もっとも、それによって使う部位が多くなるので、それぞれの部位を最適にコントロールする必要があります。

柏野 実際の運動では、そのようにたくさんの関節や筋肉を使って複雑な動きをしているわけですが、そのあたりの研究はまだまだ途上ですね。上手な人ほど、あまり動いていないように見えるし、力も入れていないように見えるのは、全身を巧みに使っているからなんですね。

古屋 全身を使っているけれど、一つひとつの可動域が小さくて済んでいるので、しなやかな動きに見える。ピアノでも、上手い人ほど、ほとんど指が動いていないように見えます。でも、よくよく見てみると、効率的に重みのかけ方を変えているし、弾く指によって肘を動かして距離を稼いだりしている。素人は指でがんばろうとするけれど、プロは肘から動かしているので、見え方が違ってくるのです。

不器用さを超えて、重力をうまく活用する

柏野 そもそも最初から、全身をうまく使える人というのもいるのですか?

古屋 いますね。身体感覚が違うのかな、という気がします。運動音痴かどうかということが関わっているように思います。

あるいは、自在な動きを妨げるものの中には、日常動作に起因するものもあると思っているのです。じつは、指をやわらかく使って脱力するのは、利き手でないほうがうまくできるんですね。利き手でないほうの手は、大きな動きは苦手だけれど、脱力はしやすい。考えてみれば、利き手というのは、つねに何かを握ったり、つかんだりという把持動作を強いられています。この日常的な動きの癖が染み付いているのではないかと、私は考えています。逆に、そういう癖がついていないのほうの手は、新しいことを覚えるのには有利なのかもしれません。

柏野 なるほど。一方、左右の器用さの違いというのは、人によってかなり違うようですね。私自身は、右よりだいぶ弱いけれども左で投げることもできるし、たぶん卓球もできるし、箸も持てるし、字も書くことができる。プロであるかどうかは関係ないんですね。ダルビッシュ有選手は、左で投げても120km/hくらいのスピードが出せるという。うちのプロジェクトメンバーの福田岳洋氏もそうですね。かたや、プロ投手でも利き手でない方でまったく投げられない人もいます。

—それは、もともと器用か不器用かで決まるのでしょうか。

柏野 私自身は手先は器用なほうですけど、重心のコントロールに関しては、残念ながら不器用ですね。投球の際、重要なポイントはマウンドの傾斜をうまく使って重力に身を委ねて、うまく落ちていくことにあるのですが、それはなかなかできません。つい、重力に抗ってしまう。重心のマネジメントがうまくできる人というのは、歩き方を見るだけでもわかりますよね。そういう意味では、器用さにもいろいろあるということでしょうか。

古屋 楽器の上達に関して言えば、もともと器用でなかったとしても、教えてもらうことでカバーできる点は大いにあると思うし、重力をうまく使おうと意識するだけで変わってくる部分はあると思いますよ。

私自身、重力を使って打鍵をするというワークショップに一週間ほど参加したことがあります。というのも、筋力を使って打鍵するよりも、重力を使ったほうが美しい響きが得られるからです。そのワークショップで、最初にやったのが、立った状態で、手を前に差し出し、その手を先生に預けるというものでした。脱力がうまくできる人は、先生が手を離した瞬間にストンと腕を下げることができるのですが、力が入っているとどうしても手が残ってしまいます。それを何度か繰り返すうちに、重力に身を委ねる感覚がわかってくるようになるのです。

—ヴァイオリンの運弓も、右腕の重みをうまく使えと言われますね。

古屋 重力を使うというのは、身体技術を上達させるうえで非常に重要なポイントですね。

柏野 重力をうまく使うためには、タイミングの精度が重要ですよね。

古屋 そう、力を緩めるタイミングが重要になります。

柏野 結局は、いかに物理現象を利用するか、ということなんですね。ブランコを漕ぐのだって、膝を曲げ伸ばすタイミングが重要で、それがズレると減衰してしまいます。その最適なタイミングをピンポイントで捉えることができれば、わずかな力で推進力を生み出すことができる。スポーツや演奏のパフォーマンスというのも、そこが重要なんでしょうね。

古屋 ちなみに、我々の実験で、腕の脱力の際の筋電を測ったら、実際に、腕が落ち始める100ミリ秒も前に、もう緩む動作が始まっていることがわかりました。つまり、腕を持ち上げる動作のときに、すでに緩み始めていて、そこから重力に委ねる状態になって落ちていく。このときの重力に身を委ねる瞬間の時間が長いと、ピアノの鍵盤を叩いた際に大きな音を鳴らすことができます。ピアニストというのは、その時間をちゃんと推定しながら、予測しつつ腕の動きをコントロールしているわけですね。結局、脱力の一瞬前に力を集約して出すことが重要になります。

柏野 それができれば苦労しないのですが(笑)。ただ、間違った、無駄なトレーニングをしないためにも、まずは上手な人はこんなことをやっているのかということを知ることが大事だと思っています。

古屋 そうですね。末梢の筋肉は小さいので、そこを酷使すると故障のリスクが高まります。野球肘と呼ばれる故障などもそうですよね。

柏野 そう、身体の使い方が上手いピッチャーは、下半身の大きな筋肉をうまく使って、上体は身を委ねるだけで、マウンドの傾斜を利用して落ちながら、その動きをせき止めた反動を使って投げています。とくに、最近のピッチャーは足をあまり曲げずに、地面からの反力をうまく使って投げる人が活躍していますね。そのイメージがなかなか自分では掴めないのですが、マウンドの傾斜とか、環境も含めて、パフォーマンスに役立てていくことが重要だということだと思います。

古屋 ピアノもそうですね。連打のうまい人は、鍵盤が跳ね上がるタイミングをうまく予測して捉えています。鍵盤の動きのモデルを持っているからこそ、速い連打が可能なのです。

多種多様な環境で経験を積むことの重要性

—環境の活用という意味では、楽器の演奏の場合、楽器の状態やホールの環境でも変わりますね。

古屋 そうですね。ピアノの場合は、ホールごとにピアノも違いますし、そのピアノ特有の癖もあります。冬場なんかは、リハーサルではよく鳴っていたのに、本番になると、コートなどを着たお客さんがたくさん入ることで、音響が変わって鳴らなくなることもあります。

柏野 そういうときは、聴きながら、弾き方を変えたりするのですか?

古屋 最初はちょっと弾き方を変えるなど、チャレンジしてみますね。そこでうまく変えることができればいいのですが、どうにも変えることが難しい場合は無視します。音響に囚われないようにして、指の動きに集中するのです。環境が味方になるのか、敵になるのかを、演奏を始めたら、できるだけ早い段階で見極めなければなりません。

柏野 演奏を聴いていても、この人は音のフィードバックを聴いて調整している人か、そうでないかはわかりますね。まったくおかまいなしの人もいますよね。そういう人の演奏を聴くと、耳に痛いというか、辛いときがあります。

古屋 音の情報を運動の情報に変換してチューニングしなければならないので、難しいんですね。情報マッピングができる人ならいいのですが、プロの人でも適応が遅い人はいます。どうしたらいいのかと、私のところへ相談に来る人もいますよ。でも、そういう方は、たいてい家のピアノでしか練習していないことが多いんですね。

—いろんなピアノや環境で経験を積むことが必要だということですか?

古屋 そうですね。やはり経験を積み重ねて、自分の中にさまざまなモデルを構築しておくと、どのような状況にも対応できるようになるように思います。

柏野 学習型ロボットのように、ノイズのある環境で学ばなければ、賢いロボットにならない、というのと同じですね。

古屋 ゴルフだって、打ちっ放ししか経験していない人が、いきなりコースに出ても良い成績は残せないと言いますよね。

柏野 中南米の野球やサッカーの選手が強かったり、モンゴル出身の関取が活躍したりするのも、凸凹のフィールドとか、草原での作業とか、不整地で足腰を鍛えたことが影響していると言われたりします。

古屋 なるほど。そういう意味では、日本のホールのピアノは良すぎるんですよ(笑)。どこにへ行ってもちゃんとしたピアノが用意してあるけれど、海外のホールだと、ある音だけ鳴りにくいピアノとか平気で置いてありますから。それでも、プロはその状況に対応して、鳴らない鍵盤だけ強く叩いたりして、なんとか対処するのです。

柏野 ダルビッシュ投手も、日本シリーズで右の人差し指を骨折していたにもかかわらず、打線を抑えて勝利投手となったことがありましたね。そんな状態でも、ちゃんとボールを投げてしまうんだから、本当にすごいと思います。

一方で、マウンドの硬さとか、球の状態とか、まったく気にしないタイプの人もいます。元大リーガーの野茂英雄投手などは、そういうタイプの選手だと聞いたことがあります。

古屋 気にしないというのもありですよね。気になって修正できないのが一番まずい。

柏野 それはまさに私です(笑)。マウンドとか、投げているうちにどんどん掘れて状態が変わっていくし、気になってしょうがないけど、修正しようとすればするほど迷子になって、どうにもうまく合わせることができない。そういう変化の中で、つねに良いコントロールで投げられるというのは、状況に応じた調整をその場で行っているということだと思います。

アガりは克服できるのか

古屋 気にして調整できないと、不安が加速していって、アガりにつながってしまうこともあります。

柏野 はい、制御できないからアガるんですね。結局、試合がつくれる、安心して任せられるピッチャーというのは、状態をコントロールできるかどうかですからね。自分が主体としてなってコントロールしているという感覚が伝われば、まわりも安心します。私などは、なんとか結果オーライで打たれずに済んだりもしますが、アガってしまって、フォアボールを重ねたり、デットボールを浴びせてしまったことも……。

古屋 逆に相手にしてみれば、柏野さんの場合は予測できなくて、統計モデルが立てられないから、打ちにくいかもしれませんよ(笑)。

柏野 ええ、まさにだから、結果オーライなんです。試合をコントロールするというのは難しいですね。もっとも、経験を積むことで、少しずつ慣れてきてはいるのですが。

古屋 やはり慣れは重要ですね。

—音楽の演奏会とか発表会でよくあるのですが、普段はまったく間違えないところを、本番のときに限って間違えるということがあります。

古屋 本番で間違えるところというのは、練習時に意識にのぼっていなくて、記憶に定着していない箇所なんですね。そこで、学生たちには、すべての楽曲のすべてのパーツに魅力を見つけなさいと指導するようにしています。魅力がないと、報酬にならないので、学習が進まないのです。作曲家といのは、一音たりとも無駄な音は書いていないはずなので、どの音もなんらかの意味を持っています。それを読み解いて、意味や魅力を見出すことができれば、共感できるし、意識を向けることができる。無意識ほど恐ろしいものはありません。

ちなみに、音楽家とアスリートの違いで、音楽家ならではの特殊な事情というのは、記憶の要素がとても強い点です。演奏会のときには、暗譜をしなければなりませんからね。演奏家にとっての恐怖は、演奏会のときに記憶が飛んでしまうことです。いかに記憶を定着させるか、というのは音楽家にとって重要な課題です。

シーケンシャルラーニングといって、AをやったあとにすぐにBをやると、Aを忘れてしまいます。記憶というのは、干渉し合うんですね。ですから、両方憶えるためには、Aをやった後に、ちょっと間を空けてBをやるのがいい。そうすることで、効率よく暗譜することが可能になります。

—なるほど。とても腑に落ちました。一曲通して、流して弾いていても、いつまでたっても憶えられないわけですね(笑)。

古屋 それが一番ダメな方法です(笑)。あとは、弾いていない時間をいかに有効に使うのか、ということも重要になります。怪我などで練習できないときに、イメージトレーニングをすると予後がいいという研究がいくつかあって、実際に、ピアニストの私の妻が、数ヶ月後にコンサートを控えて骨折してしまったときにはイメージをさせるようにしていました。おかげさまで、回復がとても早く、医者も驚いていましたね。

—それはすごいですね。ところで、古屋さんは、2017年4月から、ソニーコンピュータサイエンス研究所に移られましたね。

古屋 現在、局所性ジストニアの治療法の開発の研究をしていますが、早く研究を進めてほしいという患者さんたちの声に押されて、研究を加速するために移籍しました。ちなみに、ここでのテーマは、「音楽家を上手にする」です。そういう意味では、スポーツ脳科学プロジェクトとまさに本質的なテーマは同じなんですね。

とくに、演奏家というのは、加齢の影響を受けながらも、一生演奏活動を続けていくことになります。新しい曲を憶えるのも大変ですし、運動認知能力、感覚機能が低下する中で、それに負けないためにはどうすればいいのか、ぜひ、探っていきたいと考えています。

ただ、60歳くらいの演奏家の方の中には、「加齢で筋力は低下するけれど、変な癖が取れて、弾きやすくなった」と、おっしゃる方もいます。脱力のヒントはそんなところにもあるのかもしれません。

柏野 楽しみですね。また今後も情報交換をさせてください。本日はありがとうございました。

(取材・文=田井中麻都佳)


古屋 晋一 [ Shinichi FURUYA ]
ソニーコンピュータサイエンス研究所 アソシエートリサーチャー
上智大学 音楽医科学研究センター センター長 / 特任准教授
ハノーファー音楽演劇大学 音楽生理学・音楽家医研究所 客員教授
博士(医学)

柏野 牧夫 / Makio KASHINO, Ph.D. [ Website ]
1964年岡山生まれ。1989年、東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。博士(心理学)。 NTTフェロー (NTT コミュニケーション科学基礎研究所 スポーツ脳科学プロジェクト統括)、東京工業大学工学院情報通信系特任教授。 著書に『音のイリュージョン~知覚を生み出す脳の戦略~』(岩波書店、2010)、『空耳の科学―だまされる耳、聞き分ける脳』(ヤマハミュージックメディア、2012)他。


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