SPECIAL CONTENTS 「勝てる脳」のきたえ方 「心」と「技」に脳科学で迫る 連載第1回 (後編) | 2016.2.18

身体の操り方と心のコントロールの仕方を探りたい(後編)

身体の動きや意思決定は、自覚できない脳の活動に支配されている

これまで、本人が自覚できない「潜在脳機能」のプロセスの解明を手がけてきた柏野氏。自らの趣味である野球を対象に、実践を通じて研究テーマを見出し、解明することで、自身の技の向上も目指す。


身体の動きや意思決定は、自覚できない脳の活動に支配されている

—なぜ、スポーツと潜在脳機能を結びつけて研究をしようと思われたのですか?

柏野 もともと我々はここ10年くらい、潜在脳機能をキーワードに一連の研究を行ってきました。ただし、最初はスポーツをテーマとしていたわけではありませんでした。日常の活動の中で、私たちがモノを見たり、聴いたり、身体を動かしたりする際に、自覚できない潜在脳機能のプロセスが非常に重要な役割を果たしていることに着眼し、そのメカニズムの解明に取り組んできたのです。

さらに、最近の脳科学の進展により、人間の意思決定コミュニケーションにおいても、潜在脳機能が非常に大きな割合を占めていることがわかってきました。たとえば、私たちが何かを買おうと決めたり、あっちよりこっちのほうが好きだと感じたり、ハッピーだと思ったりすることも、その原因を明確に自覚できていることは非常に少なくて、しかも本人が思っていることが本当の原因ではない場合が多いのです。じつのところ、こうした感情や意思決定は脳の潜在的な状態に左右されていて、「買いたい」とか「幸せだ」といった意識は後付け的な解釈にすぎない、ということがわかりつつあります。

—人間の行動というのは、意識してやっていることよりも、無意識に、無自覚的にやってしまっていることのほうがはるかに多いと……?

柏野 そうなんですね。そこで我々は、それらの潜在脳機能がどのように私たちの身体の反応(眼球運動や瞳孔径の変化、発汗、心拍など)に表れるか、つまり人間の身体を外から見たときにどのような変化として起こるのかを探ってきました。こうした反応は潜在脳機能と関わりが深い自律神経系※1や内分泌系※2の活動によって起こる変化であり、これらの変化を捉えることで潜在脳機能のプロセスの解読をしてきたのです。

そうした中で、じつはスポーツこそが、潜在脳機能のプロセス解明のカギを握る恰好の対象になり得ることに気づきました。先にお話したように、スポーツには瞬時の判断、すなわち潜在脳機能の役割が欠かせませんからね。


※1 自律神経系
自分の意思とは関係なく、循環器や消化器、呼吸器、体温調節、内分泌機能、代謝などの活動を調整するために、刺激や情報に応じて身体の機能をコントロールしている神経のこと。交感神経と副交感神経の二つの神経系からなる。

※2 内分泌系
内分泌器とはホルモンを分泌する器官のことで、いくつかの内分泌器がネットワークを構成し、協働している。なお、ホルモンとは体内で合成分泌され、血液などの体液を通して体内を循環し、別の決まった細胞でその効果を発揮する物質。

野球が趣味だからこそ、研究にのめり込める

—今回、対象とするスポーツの一つは野球ということですが、それはどういう理由からですか?

柏野 研究対象として野球を選んだのは、研究する際の難しさがちょうどいいからです。ラグビーやサッカーみたいに敵味方入り乱れてずっとプレーが続いていくようなものと違って、ピッチャーが決まった位置で止まった状態から動き始めるため、計測や解析がしやすいのです。そのほかに、ゴルフ、自転車、歩行なども研究対象としています。もっともこの研究で得られた知見は、特定のスポーツの枠を超えて一般化できる部分もありますし、ダンスやリハビリテーション、さらには音楽の演奏といった身体のさまざまな動かし方にも応用できると考えています。でも野球を選んだ本当の理由は、自分が好きだからなんですけどね(笑)。

—ご自身も野球をやっていらっしゃるのですよね!

柏野 ええ。若い頃に部活動などで野球をしていたわけではないのですが、40代半ばだった6~7年ほど前から、昼休みにキャッチボールをするようになりました。それがだんだんハマってきて、投球フォームを分解写真や動画なんかで研究するようになって。今では、このプロジェクトがきっかけとなり、元読売巨人軍の桑田真澄さんたちと草野球チーム「Tokyo 18’s(エイティーンズ)」でプレーするなど、趣味と実益を兼ねて、楽しみながら研究しています。

じつは、このプロジェクトのチームメンバーの大半がスポーツ愛好者なんですよ。井尻哲也君なんて、東大野球部主将として、あの斎藤佑樹投手とも対戦したことがありますしね。スポーツが好きだからこそ情熱も湧くし、勘が働く部分が大いにあります。知行合一と言われるように、机上の空論ではなく、実践の中から問題意識が生まれ、それを研究によって解明し、さらに実践に活かす、といういいループができているように思います。

歳をとっても、身体の使い方を上達させられるか?

それからもう一つ、「人は50歳からどれだけ身体の使い方を上達させられるのか」というのが、この研究の裏テーマとも言うべき、大きなモチベーションになっています。50歳ともなれば身体機能の衰えは避けられませんが、じゃあスポーツは上達しないのか——。

高齢化社会における医療費の抑制という観点からも、単に長生きをするだけでなく、健康に身体を動かすことができる高齢者の割合を増やすことは喫緊の課題です。かといって、多くの人が歳をとってからハードに筋トレをして身体をきたえるなんてことは、現実的ではありませんよね。だからこそ、身体の最適な使い方を学習し、自らの潜在能力を引き出すことがより重要になると考えています。そこに我々の研究が寄与できるのではないかと。

—実際に、40代半ばからピッチングを始められて、上達されたという実感がおありなのですね?

柏野 たしかに上達した部分はあるでしょうね。昔から、素人のわりには比較的速い球を投げることはできたのだけれど、コントロールが不安定で暴投が多かったのです。最近は、ほぼ毎日練習しているせいか、だいぶ安定してきました。

ただ、実際に自分が投げている映像を見ると、あまりにイメージと違うのでガッカリしてしまいます。なんだかフォームが昭和だなーとか(笑)。テイクバックの時の右腕が背中側に入りすぎていて、最近の主流と比べると、コンパクトな動きになってないと痛感します。自分では、脳内イメージはダルビッシュなんですけどね……(笑)。そうした主観と客観のズレをできるだけ小さくしたり、トップアスリートとアマチュアの違いを解明したりして、最適解をフィードバックするというのも、この研究の大きな目的の一つです。

—素人目にはその違いはあまりわからないというか、球が速くてびっくりしました。今日は時速何kmくらい出ていたのですか?

柏野  100km/hならわりと楽で、100球でも続けて投げられますけど、それ以上がんばってもあまり速くはなりませんねぇ。なかなか110km/hは出ません。

ただし、速い球を投げることが目的なのではなくて、もっと楽に、かつ精度を上げるにはどうすればいいのか、ということを探っていきたいと思っています。それこそ、この歳でむやみにハードワークはできませんから、身体の使い方を学習して、自分の潜在能力を引き出すことが重要かと。そのためにもこの研究を通して、自身の技をよりいっそう磨きたいと思っています。

(取材・文=田井中麻都佳)


柏野 牧夫 / Makio KASHINO, Ph.D. [ Website ]
1964年岡山生まれ。1989年、東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。博士(心理学)。 現在、日本電信電話株式会社コミュニケーション科学基礎研究所上席特別研究員・スポーツ脳科学プロジェクト プロジェクトマネージャー、東京工業大学工学院情報通信系特任教授。 専門は心理物理学・認知神経科学。著書に『音のイリュージョン』(岩波書店、2010)、『空耳の科学』(ヤマハミュージックメディア、2012)他。

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