SPECIAL CONTENTS 「勝てる脳」のきたえ方 「心」と「技」に脳科学で迫る 連載第2回 (後編) | 2016.2.18

脳と身体で起きていることを捉え、
勝つためのエッセンスと手法を探る

身体の動きを、音や触感により提示する「感覚フィードバック」

Sports Brain Science Projectでは、生体情報を取得し、蓄積し、解析した結果から、新たなスポーツ上達のための支援法を開発しようとしている。はたして、その支援法とはどのようなものなのか。部屋や衣服がコーチとなる日も近い!?


身体の動きを、音や触感により提示する「感覚フィードバック」

—得られた情報をもとに、研究成果としては、実際にスポーツ上達のための支援法を開発されるということですが、具体的にはどのようなものですか。

柏野 はい、第3のステップとして、得られた知見をもとに、パフォーマンスを最大化するために、アスリートへフィードバックする手法を探ります。ただし、フィードバックの対象は潜在脳機能の領域であり、自覚できないわけですから、いくら言葉や論理を使って頭で理解したところでどうにもなりません。

たとえば、元プロ野球の天才プレーヤーで監督も務められた長島茂雄さんが、選手に打ち方を教える際、「バァっといってガーンと打つんだ」と言ったりしていましたが、まさにその感覚を一般人にもわかるように伝えたい(笑)。じゃあ、どうするのかというと、直感的自動的に身体が動いてしまうように仕向けるようなフィードバックができないかと考えています。つまり、フィードバックの手段もなるべく潜在的、直感的なものにしたいと考えています。

その一つの手法として開発を進めているのが、「感覚フィードバック」です。たとえば、タイミングやリズムをアシストするような音(聴覚)によるフィードバックや、触覚などの体性感覚によるフィードバックなどが考えられます。

—柏野さんは長く聴覚の研究をしてこられたこともあって、その知見も感覚フィードバックに活かされることになるのですね。

柏野 そうですね。たとえば、ほとんどのスポーツにおいて、複数の身体の部位の素早い協調がカギを握ります。その際に、身体の各部位にセンサをつけておいて、その動きに対応した音を鳴らしてやると、各人によって音の出るタイミングや音色が変わってきます。それをリアルタイムでプレーヤーにフィードバックすることで、どのタイミングでどの部位をどう動かせばいいのかを直感的に知らせるのです。それこそ、身体の動かし方が違うプロとアマチュアの音色の違いを示すこともできます。

このような手法を専門的には可聴化※1と言いますが、聴覚は視覚よりも時間分解能が高い、すなわち時間に対する感覚が鋭いからこそ、有効な手法になります。スポーツにはリズムやタイミングが重要ですが、そこに聴覚によるフィードバックは非常に効果的です。

そもそも、聴覚というのは意識に昇る前の身体の制御に大きく関わっているんですね。街を歩いていて、聞こえてきた音楽のリズムに思わず歩調を揃えてしまったとか、大きな音がして思わず身をすくめたなんて経験があるかと思いますが、そういう聴覚の特性をうまく使ってフィードバックに活かしたいと思っています。一方で、視覚は形や空間的な位置情報を捉えことに長けているように、五感それぞれの特性をうまくフィードバックに組み込んでいけたらと考えています。


※1 可聴化(Sonification)
入力データの特性や関係性を音に変換して提示すること。

160km/hの豪速球やデッドボールも体験できる

柏野 もう一つ、ヴァーチャルリアリティオーギュメンテッドリアリティ※2の活用により、現実には練習できないような豪速球や変化球、デッドボールなどの映像をヴァーチャルに作り出して、体験させることができればと考えています。

たとえば、ヘッドマウントディスプレイ※3にヴァーチャルな映像を流して、豪速球が顔めがけて飛んでくるといった、情動を揺さぶるような実験も始めています。そのときに心拍や筋肉の活動がどれくらい変化するかを見るのです。そういう状況でも動じない人、それがきっかけでパフォーマンスが低下してしまう人などさまざまでしょうが、その脳の状態を見てみたい。あるいは、自分が投げた球をバッターとして体験する、なんてこともできるかもしれませんね。相手から自分の球がどう見えているかを知ることで改善できる点は大いにあるはずです。

—それは面白そうですね!

柏野 NTT メディアインテリジェンス研究所の三上弾研究主任らがそのシステムを手がけているのですが、試作の映像をつくって選手に見せたところ、「これなら使える」というお墨付きをもらいました。デットボールの映像では、ヴァーチャルな球にもかかわらず、思わず身体をのけぞらせてしまうほどです。今後さらに、どういった映像が有効かを検証しつつ、開発を進めていきます。


※2 オーギュメンテッドリアリティ(Augmented Reality)
拡張現実。現実の世界に、コンピュータに内在する関連した情報や映像、音、触感などを重ね合わせて表示する技術のこと。

※3 ヘッドマウントディスプレイ(Head-Mounted Display)
眼鏡のように頭部に装着して、眼球の至近距離に映像を写す小型ディスプレイ。眼球との距離が近いため、仮想的な大型ディスプレイとして機能するうえ、ハーフミラーなどを使うことで、眼前の景色にヴァーチャルリアリティによる映像を投影することができる。

ウエアラブル機器を使って生体情報を計測する

—さきほども計測の様子を少し見せていただきましたが、具体的には、どのようなセンサで計測されているのですか?

柏野 計測に欠かせない道具の一つに、東レとNTTが共同で開発、実用化したhitoeがあります(第5回参照)。hitoeというのは、着るだけで心拍数や心電波形などの生体情報が取得できる機能素材です。さきほども、ユニフォームの下に着ていました。これを毎日着て計測することで、日々の調子を見たり、試合で緊張したときの身体の状態を解析したりできるようになるのです。

それから、モーションキャプチャー※4で動きを捉えます。さきほど身につけていたのは、通常の光学式ではなくて、慣性センサ式のモーションキャプチャー用のスーツです。いずれも、着ればすぐに計測ができ、計測したデータがそのまま活用できるという非常に効率のいいセンサになります。

また、筋肉の活動を測る筋電センサも重要な道具の一つです。これも身体の動きを邪魔しないようにワイヤレスのものを使っています。今後は筋電をhitoeで測れるよう、現在、開発を進めているところです。さらに、眼球運動や瞳孔径の計測ができるゴーグルのようなものもあります。これらのセンサを使って、大量の多種多様な情報を日々計測し、データを蓄積していく予定です。


※4 モーションキャプチャー(Motion Capture)
人や物体の動きを、デジタルに記録する技術。関節など、動作の特徴となる部位(マーカー)の位置と動きを三次元で計測することにより、「動作」をコンピュータ上で扱えるデータとして記録する。マーカーを付けたボディスーツを着た人の動きをカメラ映像で撮影する光学式、関節などにジャイロ(角速度)センサや加速度センサを付けて動きを記録する機械式などがある。

コーチする服や部屋が、スポーツの常識を変える

—成果のイメージとしては、具体的にはどのようなものになるのでしょうか?

柏野 それはさまざまなものが考えられます。いわゆる、マルチメディア教材のようなものもあるでしょうし、さらに一歩進めて、コーチをする服コーチをする部屋というものをつくることができたらと考えています。たとえば、スマートスーツを着て部屋に入ると、瞬時に心身の状態を計測して、今日の調子を教えてくれたり、今日の状態に応じた最適なトレーニングメニューを提示してくれたりするわけです。さらには、過去のデータや他の人のデータと比較して的確にアドバイスするなど、服や部屋を有能なパーソナルコーチとして機能させるとこまでいけるといいですね。

—なるほど、スポーツに限らず、何かの動きを習得しようとしたときに、自分の今の状態に合った最適で効率的なトレーニングメニューを示してくれたら、飽きずに取り組めるような気がします。この研究が、スポーツ界にどのようなインパクトをもたらすとお考えですか?

柏野 これまで、科学とスポーツの現場というのは、かなりかけ離れていたように思うんですね。スポーツの現場からすれば、科学など当てにならないと思われていたでしょうし、科学者側から見れば、スポーツ界は経験に頼りすぎていて、もっとシステマティックなやり方があるはずだと考えてきた。その両者の溝を、これまでシステマティックなトレーニングが難しかった領域—コツの習得やメンタルの制御など—において理にかなった早道を提示することで、埋めることができたらと考えています。

それから、スポーツの上達法は一つではありませんし、それぞれの人にあったトレーニング法を効率的に示すことが可能になるのではないかと考えています。たとえば、Aタイプの人がAタイプのコーチについて教わる分には問題ありませんが、Bタイプの人がAタイプのコーチについてしまうと悲劇です。計測によってそれがつぶさになれば、各人に合った効率的なトレーニング法を示すことができるでしょう。

さらに、子どもからトップアスリート、さらには高齢者まで、さまざまなレベルに応じて、身体の動かし方の上達法を提示することで、スポーツに興味を持つ人、好きになる人を増やしたい。それがひいてはスポーツ界全体のレベルアップにもつながるでしょうし、さらには健康長寿社会にも貢献できるのではないかと考えています。

(取材・文=田井中麻都佳)


柏野 牧夫 / Makio KASHINO, Ph.D. [ Website ]
1964年岡山生まれ。1989年、東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。博士(心理学)。 現在、日本電信電話株式会社コミュニケーション科学基礎研究所上席特別研究員・スポーツ脳科学プロジェクト プロジェクトマネージャー、東京工業大学工学院情報通信系特任教授。 専門は心理物理学・認知神経科学。著書に『音のイリュージョン』(岩波書店、2010)、『空耳の科学』(ヤマハミュージックメディア、2012)他。

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