SPECIAL CONTENTS 「勝てる脳」のきたえ方 「心」と「技」に脳科学で迫る 連載第7回 (後編) | 2017.2.14

プロ野球投手から研究者へ(後編)

研究者とアスリートをつなぐ存在として

2017年1月より、「Sports Brain Science Project(スポーツ脳科学プロジェクト)」のリサーチスペシャリストとして、横浜DeNAベイスターズの元投手、福田岳洋氏がメンバーに加わった。研究者として、アスリートとして抱えてきた問題意識と自身の経験を携えて、研究者とアスリートをつなぐインタープリターとしての役割と抱負を語った。


身体のうまい使い方はいつからでも覚えられる

—身体の使い方を、意識を変えることで習得されたということですが、それは誰にでもできることなのでしょうか?

福田 はい、身体の使い方というのは、いくつになっても、誰でも覚えることができるんじゃないかと思います。僕自身、小学校の頃から野球はやっていたけれど、運動神経が特別よかったというわけではありません。身体が柔らかくて、走るのは得意でしたが、最初からきれいなフォームで投げることができたわけじゃない。まさに、身体の使い方を意識するようになってから、すごく変わったのです。

—柏野さんも、投球を始められたのは40代からですね。

柏野 そうですよ。それまでろくに身体を動かしていなかったうえに、誰にも教えられてこなかった、というのが、逆に今の研究に生かされているように思います。変な癖もついていませんし、故障もしていませんからね。しかも最近では、桑田さんや福田さんをはじめとする、トップレベルの方々から直接、指導していただくという、ありえない経験をしています(笑)。その中で、教えられることの面白さと難しさを実感しているところです。

人それぞれ、見ているポイントが違うし、指導の仕方も言葉や表現も違います。アドバイスの中には自分で気づいていてもできないこともあれば、まったく気にしていなかった点を指摘されて目が開かれることもあります。もちろん、すぐに改善できることもありますが、やはり消化するのにはそれなりに時間がかかりますね。頭で理解する、というよりも、身体で徐々に消化していく感じでしょうか。いずれにしても、私は幸いなことに、いきなりトップクラスの人たちから的確なアドバイスをいただいているので、自分で言うのも何ですが、球を投げることに関しては技術的に上手くなっているし、この歳でもまだまだ上達できそうだという手応えがあります。

福田 実際に、去年よりもいい球を投げているな、と感じるし、徐々に何かを掴んで、上達していく様子を側で見ているのは面白いですね。

—福田さんはかつて故障されたことがあったようですが、やはりそのときは身体の使い方に問題あったのでしょうか?

福田 そうですね。プロの投手の中には、生まれつき身体の使い方に長けている人もいるでしょうし、長い野球経験の中で、力を抜くことを覚えて上達した人もいるし、さまざまなタイプの人がいます。自分の場合は、150km/hの球を投げようとすると、やはりものすごく頑張らないと難しかった。頑張れば投げることができるけれど、すべて全力で投げなければならなかったし、次の日に疲労が残ってしまう。ところが、まわりを見回してみると、プロで活躍している人たちは、本当に大事なところだけに力を入れて、うまく疲労を蓄積させない方法を身につけている、と感じました。それが、自分にはできていなかったと感じています。

プロで150km/hの球をコンスタントに投げられる人というのは、おそらく余力を残して投げているんだと思います。だから、次の日も投げられるし、翌年も投げられる。一方、僕は肘や膝を壊して、手術をすることになってしまった。そう考えると、プロ投手にはなれたけれど、やはりプロ野球というのは、自分が思っていた以上に高い山だったんだと感じます。

—それはやはり、持って生まれた身体の違いが大きいのでしょうか?

福田 それは大きいですね。車で比較するなら、僕のエンジンは軽自動車くらいで、メジャーで年間160イニングも投げるような投手は6000ccのターボエンジンというくらいの違いはあります。でも、身体自体は置かれた環境でも、大きく変わってくるとは思います。僕自身は、プロにいた4年間が、野球が一番上手くなった時期だと感じているんですね。というのも、食事もトレニーニングもコーチも含めてすべての環境が整っている中で、野球だけに集中できたからです。身体もずいぶん大きくなりましたからね。やはり一番充実していたし、野球が上手くなったのはあの4年間でした。

結局、30歳で引退したわけですが、20代後半で野球がうまくなったのだから、スポーツ技術の向上に年齢はあまり関係ないように思います。だからこそ、研究を続けたいとも思った。僕のように遅咲きの選手もたくさんいるし、その人に合ったトレーニング法が開発できれば、選手のパフォーマンス向上に貢献できるでしょう。そこに、自分の経験と能力を生かしたいと、今は考えています。

実戦に近い環境で計測して、分析結果を現場へフィードバックする

—福田さんがプロジェクトに参加されて、まだ日は浅いですが、いろいろと動きがあるようですね。

柏野 福田さんの力は大きいですね。人のつながりがつながりを呼んで、プロジェクトに共鳴して、協力してくださる方がどんどん増えていて、すでに、スタート時に考えていたよりも大きな動きになりつつあります。今年から、東京大学運動会硬式野球部、慶應義塾体育会野球部との連携もスタートしたところです。アスリートの協力を得ながら、まずは野球の実戦に近い環境での計測や実験を通じて、データの蓄積をしている最中です。

—ところで、福田さんも実戦の場面で緊張される、ということはあったのですか?

福田 ありましたね。とくにプロ野球に入って1 年目は2 軍の試合でもものすごく緊張しました。でも、1 年目の後半の8月から1軍に昇格し、20試合近く投げたのですが、投げるのが当たり前になってくると、だんだん緊張しなくなりました。環境に慣れるにつれ、ちょうどいいくらいの緊張感で投げられるようになったのです。面白いのは、ブルペンでの投球練習のように、まったく緊張していない状態だと140km/hで投げることはなかなかできないんですね。ところが、実戦のマウンドに上がると、148km/hとかいきなり出たりする。

ですから、このプロジェクトでやろうとしている実戦に近い環境での計測、というのは非常に重要だと思っています。そういう緊張時の脳のメカニズムがわかるようになれば、ブルペンではいい球を投げているのに実戦でなかなか活躍できない投手や、本番で力が発揮できないアスリートのサポートもできるのではないかと思っています。

柏野 これまで、そうやって本番で力が発揮できない人というのは、メンタルが弱いといって片付けられていたわけですが、それでは何も解決しませんよね。身体の中で起きていることのメカニズムがわかれば、過度な緊張の元を断つ方法や、緊張を和らげる方法が見出せるはずです。そうした具体的なメソッドを開発していきたいと考えています。

ただ、そのためにはまずは、その人の状態をウェアラブルセンサなどを使って把握し、実際に身体の中で何が起きているのかを明らかにする必要があります。

先ほど、福田さんが言ったように、「慣れる」というのは重要なポイントですよね。一方で、慣れていても、何か想定外のことが起こると一気に緊張してしまうこともあります。私も、試合中に、通常なら取られないような場面でボークを取られたのがきっかけで、いきなり緊張してしまい、その後、連続でデッドボールを投げてしまった経験があります。

福田 僕も1軍の試合で、ランナー1、3塁になって、ちょっと難しいサインプレーがあるんですけど、そのときのファーストが外国人選手で、いつもと違う景色になった瞬間にサインがフワッと消えたことがありましたね。あと、バッターボックスに鳥谷敬選手が立ったときも、うわっとなりました(笑)。

そう考えると、メンタルが強いと言われている人も、ただただ経験を積んで、慣れているだけかもしれません。桑田さんの心拍を計測するとつねに安定されているのですが、それこそ桑田さんは高校1年生のときから全国大会で戦い、その後はジャイアンツのエースナンバーを背負って活躍されていたわけで、さまざまな経験を積まれているからこそ、ちょっとやそっとのことでは緊張されないのかもしれませんね。

そうしたことを科学的に解き明かすという意味でも、このプロジェクトは非常に面白いと思います。実戦に即し、現場のアスリートの目線に立って研究を進めることで、選手にフィードバックできるというのは、非常に有益です。その中で、自分は、現場のアスリートと研究者の間をつなぐインタープリターとして、存分に持てる能力を発揮したいと思っているところです。

現場が真に求める問題の解決につなげたい

—研究成果を現場のアスリートへ還元していくにあたり、アスリート側から見たときに、どんなことが必要とされていると思われますか?

福田 現場の問題として、プロ野球ではコーチや監督が変わり、その度に違うやり方を求められるということがあります。場合によっては、その要求に応えられず、十分に能力を発揮できない選手もいます。結局、人によって言い方やアプローチが異なるので、選手自身が自分でそれを咀嚼して、判断しなければならないんですね。その際に、生体情報などの客観的なデータに基づいて、自分の身体の動きや特徴について知ることができれば、改善点も明らかになりますし、選手自身の判断に役立てられるのではないかと思っています。

柏野 超一流の選手とお話しさせていただくと、当たり前ですが、ものすごく考えていますよね。一貫して考えて、自ら実験して、高みを追究している。やはり、技術をさらに磨いていこうと思ったら、自分の基準をもって考え続ける必要があるのでしょう。我々のプロジェクトの目的の一つは、そうした選手のサポートに資することにあります。少なくとも、フィードバックのチャネルを増やすことにはできます。自分の中で起きていることをモニタリングし、分析して、それをさまざまなかたちでフィードバックできれば、選手のパフォーマンス向上に役立つのではないでしょうか。

とはいえ、どんな情報をフィードバックすれば役立つか、というのは人によって違うはずです。いくらトラックマンで球の回転数がわかったところで、そこに意味を見出せる人と、見出せない人がいる。下手をすると、変に数字を意識してバランスを崩してしまうかもしれない。現状は、データから意味を取り出し、フィードバックしていくための方法論が圧倒的に欠けています。これからのスポーツ界には、そういったことが求められていくと思っています。

—現状、日本のスポーツの現場では科学的な知見は、あまり役立っていないのでしょうか。

福田 もちろん、筋トレや食事などについては、積極的に新しい知見を取り入れているし、大いに役立っていますが、一方で、身体の使い方や意識となると、野球界はまだ遅れている印象があります。プロ野球の選手の中にはスポーツ科学は知っているけれど、脳科学という分野がどんなことをしているか知らない人が多いんじゃないでしょうか。

柏野 一つには、科学という言葉に誤解があると思うんですね。何か先進的な機材を持ってきて計測することが科学である、といったような。計測すること自体は科学でもなんでもなくて、そこから妥当性の高い結論を導き出すメソッドが科学です。問題の切り出し方は適切なのか、ちゃんと計測できているのか、論理に飛躍はないか、得られた結果に一般性はあるか。こうしたことを慎重に吟味しないで、単に何かの項目を計測した結果だけを示しても、現場では何の役に立たなかったじゃないか、となるのは当然でしょう。研究者が勝手に頭の中ででっちあげた問題をいくら解いたところで、現場では役に立ちません。だからこそ、我々はできるだけ現場のリアルな問題をすくい上げたい。そのために、お互いの気持ちが理解し合えるような環境づくりを心がけています。

下手の横好きで自分が野球をやるのも、選手たちと問題意識を共有する上では多少なりとも役立っているかもしれない。上手くなるのがいかに難しいか、アドバイスやデータをプレーに活かすのがどれほど大変か、日々実感していますからね。

福田 まずはこういう研究プロジェクトがあることを、アスリートの方たちに知ってもらい、より多くの方に参加していただきたいですね。僕の研究者としての目標としては、自身の経験を踏まえて、アスリートのメンタルや身体の使い方などをテーマに、それぞれの選手に適したレシピを開発し、提供することで、一人でも多くの選手のパフォーマンスの向上に貢献できればと思っています。

(取材・文=田井中麻都佳)


福田 岳洋 / ふくだ たけひろ
NTT コミュニケーション科学基礎研究所 スポーツ脳科学プロジェクト リサーチスペシャリスト

柏野 牧夫 / Makio KASHINO, Ph.D. [ Website ]
1964年 岡山生まれ。1989年、東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。博士(心理学)。 NTTフェロー (NTT コミュニケーション科学基礎研究所 柏野多様脳特別研究室 室長)、東京工業大学工学院情報通信系特定教授、東京大学大学院教育学研究科客員教授。 著書に『音のイリュージョン~知覚を生み出す脳の戦略~』(岩波書店、2010)、『空耳の科学―だまされる耳、聞き分ける脳』(ヤマハミュージックメディア、2012)他。

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