Hearing X Musical Illusion

Ikarus

Leonid ZVOLINSKII

2020.4.23

Musical illusionでは、シリーズAuditory Illusion in Music(音楽におけるイリュージョン)とリンクして、テーマごとに出てきた錯聴効果を使った新作を、作者の作品解説と共に公開していきます。
(*こちらの記事は過去に「Hearing X -『聞こえ』の森羅万象へ -」に掲載されたものをアーカイブとして公開しています。)

Ikarus / Leonid ZVOLINSKII

作曲者作品解説

トリックアートの巨匠エッシャーの作品に、上っているのか降っているのか見ているうちに分からなくなる階段のだまし絵があります。これは視覚の錯覚ですが、この聴覚バージョンとも言える、永遠に上昇/下降し続けるように聞こえる音楽を聴いたことはありますか?今回は、「シェパードトーン」、「無限音階」のイリュージョンを応用して“Ikarus”という曲を作曲しました。

ロジャー・シェパードというアメリカの心理学者・認知学者がいますが、彼の主な研究テーマの一つが感覚のイリュージョン(錯覚)です。この分野でのシェパードの最も有名な発見に、「シェパードの机」の錯視 («Shepard tables»)と、今回使用した「シェパードトーン」(«Shepard's tone»)という音のイリュージョンがあります。

シェパードトーンは周波数が互いに倍数である、つまりオークターヴで配置された正弦波の重なり合いで形成されます。この音を上下させるといわゆる「シェパードトーン」ができ、実際の音の高さはほとんど変わっていないのにも関わらず、音が常に上昇、あるいは下降し続けるような感覚を生み出します。

この効果がより説得力をもって感じられるのは合成されたそれぞれの音が断続的に演奏される場合です。一方、このイリュージョン効果の、絶えず上昇/下降する音のバージョンを作ったのが、ジャン・クロード・リセで、「無限音階」(«continuous Risset scale»または「シェパード−リセのグリッサンド」(«Shepard–Risset glissando»)と呼ばれます。今回の曲ではこれを応用しています。

[音例01] 無限音階

シェパードトーンの構造

音のイリュージョンを作るには、複合されてできた音を上行系または下降系の音階順に音を並べる方法があります。それぞれの複合音は滑らかに始まり、そして小さくなって消えていくので、音楽的な鋭い聴覚を持った人でなければ、一つの複合音を背景とした別の音の始まりと終わりの部分を捉えることはほぼできないでしょう。 上で触れたように、シェパードが発表した音列は、音階順ではないため、レガートよりはスタッカートのようなそれぞれの音を短く切る断続的な奏法で、音と音との間に小さな休止が入るとより効果的です。このシェパードの理論から、音を連続的な順番に並べてグリッサンドで演奏することで、音が永遠に上がり続ける、または下がり続けるような効果を実現させたのがジャン・クロード・リセでした。

この効果は、非常に長くまっすぐな道と比較できるのではないでしょうか。実際には必ずどこかに始まりと終わりがあるはずなのに、それが見えないと、果てしなく続くように感じられますね。

上行形の音は、エレクトロダンスミュージックでアクティブなサビ部分に入る前によく見られますが、「これから何かが始まるぞ」という緊張と期待感を演出するのに適しています。私の場合はこの曲の例で古代ギリシャ神話に出てくるイカロスの詩的なイメージに焦点を当てています。イカロスは翼を作り、太陽に向かって飛翔しようとするものの、あまりにも太陽に近付き過ぎてついには墜落してしまいます。作った翼が蝋で貼り付けられていたため、それが溶けてしまったのです。シェパード−リセのグリッサンドが重要な役割を果たす長い上昇という表現方法を活かすには、このイカロスのイメージは最適ではないでしょうか。

まず初めの導入部では、熱望と恐れの雰囲気を作ります。

[譜例02]

ですが、展開部ではシェパード−リセの効果(無限音階)が登場し、それが曲全体をクライマックスへと導いていきます。

[譜例03]

それでは作品“Ikarus“を聴いてみて下さい。

[音例04] Ikarus

なお、「無限音階」の錯聴についてはイリュージョンフォーラムのサイトもご参照下さい。

(作曲=Leonid ZVOLINSKII / 翻訳=森谷 理紗)

Profile

Leonid ZVOLINSKII
ロシアの作曲家、マルチインストゥルメンティスト、サウンドプロデューサー。 リャザン市生まれ、幼少期より音楽を始め、12歳で「若手作曲家コンクール」で優勝。モスクワ私立音楽学校特待生。グネーシン音楽アカデミーカレッジ音楽理論科卒業後、P.I.チャイコフスキー記念モスクワ音楽院作曲科入学。同音楽院を首席で卒業。リトフチンテレビ・ラジオ放送人文大学専門コースで「オーディオビジュアルアートサウンドプロデューサー」資格取得。 オーケストラ作品、室内楽、声楽曲等のアカデミック音楽作品のほか、ポップ、ロック、Hip-Hopなど様々なジャンルの作曲、演奏を行う。映画音楽、CM、音楽舞踊劇等を手がける。
森谷 理紗 / Risa MORIYA
神奈川県生まれ。北鎌倉女子学園高校音楽科卒業。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学院音楽研究科修了。グネーシン音楽アカデミー研修(音楽史・音楽理論)を経てP.I.チャイコフスキー記念モスクワ音楽院大学院博士課程学際的音楽学研究科修了(芸術学/音楽学博士)。2010年度外務省日露青年交流事業<日本人研究者派遣>受給。その後同音楽院作曲科3年に編入、その後卒業。モスクワ音楽家協会150周年作曲コンクールグランプリ。著書”Vzoimoproniknovenie dvyx muzikal’nyx kul’tur s XX - nachala XXI vekov : Rossia- Iaponia(20世紀から21世紀初頭にかけての二つの音楽文化の相互作用:ロシアと日本)”(2017 サラトフ音楽院)で第2回村山賞受賞(2018)。モスクワ音楽院客員研究員を経て、大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター客員研究員。