Hearing X Musical Illusion

夏の残像 “Afterimage”

Leonid ZVOLINSKII

2021.9.30

Musical illusionでは、シリーズAuditory Illusion in Music(音楽におけるイリュージョン)とリンクして、テーマごとに出てきた錯聴効果を使った新作を、作者の作品解説と共に公開していきます。
(*こちらの記事は過去に「Hearing X -『聞こえ』の森羅万象へ -」に掲載されたものをアーカイブとして公開しています。)

夏の残像 “Afterimage” / Leonid ZVOLINSKII

作曲者作品解説

本作は「瞬き(またたき)」のような効果を使って作曲されています。「瞬き」と言っても、このコンセプトでは視覚的な物の点滅ではなく、聴覚における音の瞬きです。音が鳴った瞬間に、耳に聞こえたのがどんな音だったのかをはっきりと分からなくするマジックのような音の瞬きの状態を、どのように作り出すことができるでしょうか?今回は2つの方法を挙げます。

方法1― 音響心理学で知られている聴覚の「マスキング効果」。音量の異なる2つの音域の近い音がある場合、より音量が大きく音色のはっきりした音によって小さな音の方が隠される(=マスクされる)という現象が起こります。これを私たちが耳で聞く際、別の音があるかどうか、それとも自分にはっきり聞こえた音だけが存在するのか、必ずしも断言できるほど良く聞き取れるとは限りません。例えば、電車の轟音で会話をしている相手の声がかき消されたり、イヤホンで聴いていた音楽が遮断されて聞こえなくなったりするのは、電車の音に別の音がマスキングされるためです。

一つ目の音の例(1aと1b)を聴き比べてみましょう。1aで聴こえるピアノの最後の音は、1bではハープとマリンバのアクセントに重なってマスキングされます。

[音例1a]

[音例1b]

(点線部の音は実線で囲まれた別の音によってマスキングされます(音源1aと1b))

そして、同様の効果は次の例でも聴くことができます。ピアノの高音が柔らかい音色で演奏されていますが(2a)、グロッケンシュピール(2b)のアクセントが同時に鳴ることで、その部分のピアノの音はマスキングされます。

[音例2a]

[音例2b]

(点線部の音は実線で囲まれた別の音によってマスキングされます(音源2aと2b))

このような効果は音楽作品に広く使われています。作曲家は、一般によく知られている楽器の音から、よりオリジナリティのある音色を作り出すために、時に様々なパートの音を重ねたり融合させる事で混合音を作ります。こうしたオーケストレーションのテクニックには、このマスキング効果が隠れていることがあります。

二つ目の方法は、一つ目ほど知られていません。これは、より大きなノイズに覆われた音の一部を、意識下レベルで理解し、補完という形で再構成するという脳の能力に基づくもので、「マスキング可能性の法則」と呼ばれます。面白いことに、私たちの脳は実際には鳴っていない音でさえも論理的、あるいは何らかの法則から聞こえるであろうと認識できる音を再構成することができるのです。例えば、会話中に雑音で聞き取れなかった言葉を推測して補う、あるいは音楽のフレーズが唐突なアクセントによって途切れても、予測できたり、知っているという場合に音を繋げる現象が起きます。

音源3aの例を聴いてみましょう。フルートパートの4秒目(楽譜の丸枠で囲まれている部分)は休符で音が途切れますが、他の楽器と合わせた例3bでは、この場面でトランペットにアクセントが現れます。そのため、フルートのパートは4秒目でも同様に音が無い事に変化はありませんが、脳の働きによって欠けている音を修復・補完する「連続聴効果」が創り出されます。つまり、フルートのパートは一連の流れとして結び付けられ、まるで休止(8分休符)が無いかのように再構成されてしまうのです。※

[音例3a]

[音例3b]

(音源3a 、3b)

この効果は、より音色的に遠い音でも同様の働きをします。4aの音源では、楽譜の丸枠のマリンバパートの休止をはっきり聴き取る事ができます。しかし、4bでは再度トランペットによるアクセントが今回はホルンと同時にあり、脳では無意識に途切れた音の線が繋げられ、実際には演奏されていないものが「再構築」されます。この方法は、失われた音の「架空の再構築」または「擬似再構築」と名付けるとより理解しやすいかもしれません。

[音例4a]

[音例4b]

(音源 4a 、4b)

本作「夏の残像」は、1bや2bの例のようにマスキングによって音を隠し、また別の部分では実際には初めから存在しない音のラインを聴き手に書き加えさせることで(3b、4b)、聴く人の感覚との遊戯を行うものです。最後に、この作品を通して聴いてみて下さい。また、興味のある方はスコアも参照することをお勧めします。

夏の残像 “Afterimage”

» 夏の残像 “Afterimage” 楽譜PDF

なお、本作は下記を参照して作られています。
イリュージョンフォーラム「連続聴効果」および
柏野牧夫「音のイリュージョンー知覚を生み出す脳の戦略」 2010年、岩波書店、5−12ページ。

※ 人の会話の場合には、この効果は「音韻修復」と呼ばれます。

(作曲=Leonid ZVOLINSKII / 翻訳=森谷 理紗)

Profile

Leonid ZVOLINSKII
ロシアの作曲家、マルチインストゥルメンティスト、サウンドプロデューサー。 リャザン市生まれ、幼少期より音楽を始め、12歳で「若手作曲家コンクール」で優勝。モスクワ私立音楽学校特待生。グネーシン音楽アカデミーカレッジ音楽理論科卒業後、P.I.チャイコフスキー記念モスクワ音楽院作曲科入学。同音楽院を首席で卒業。リトフチンテレビ・ラジオ放送人文大学専門コースで「オーディオビジュアルアートサウンドプロデューサー」資格取得。 オーケストラ作品、室内楽、声楽曲等のアカデミック音楽作品のほか、ポップ、ロック、Hip-Hopなど様々なジャンルの作曲、演奏を行う。映画音楽、CM、音楽舞踊劇等を手がける。
森谷 理紗 / Risa MORIYA
神奈川県生まれ。北鎌倉女子学園高校音楽科卒業。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学院音楽研究科修了。グネーシン音楽アカデミー研修(音楽史・音楽理論)を経てP.I.チャイコフスキー記念モスクワ音楽院大学院博士課程学際的音楽学研究科修了(芸術学/音楽学博士)。2010年度外務省日露青年交流事業<日本人研究者派遣>受給。その後同音楽院作曲科3年に編入、その後卒業。モスクワ音楽家協会150周年作曲コンクールグランプリ。著書”Vzoimoproniknovenie dvyx muzikal’nyx kul’tur s XX - nachala XXI vekov : Rossia- Iaponia(20世紀から21世紀初頭にかけての二つの音楽文化の相互作用:ロシアと日本)”(2017 サラトフ音楽院)で第2回村山賞受賞(2018)。モスクワ音楽院客員研究員を経て、大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター客員研究員。