脳・からだ・こころ -SBS Archive- No.2
トップアスリートの謎に迫る(前編)
一流選手は予測の能力に長けている!?
Daiki NASU & Makio KASHINO
2017.12.1
SBSプロジェクトでは現在、アスリートの身体の動きや生体情報、脳機能の情報などを取得できる「スマートブルペン」(神奈川県厚木市)において、さまざまな実験・計測を行っている。那須大毅氏らが手がけるのは、実戦に近い状況下でのトップアスリートの計測だ。そうしたなか、女子ソフトボールの日本リーグ選手を対象とした「打者の予測」に関する実験から、トップアスリートの条件の一端が見えてきた。実戦環境に近い「スマートブルペン」で選手の動きを計測する
—SBSプロジェクトにおける那須さんの役割を教えてください。
那須: 主に、ここ厚木のスマートブルペンにおいて、バッターやピッチャーの運動を計測して、解析しています。たとえば、選手に慣性センサを装着したウェアを着てもらったり、グリップエンドに慣性センサが付いたバットを持ってもらったりしてプレーすることで、身体のどの部位がどれくらいの速さでどう動いたのか、あるいはバットをどのくらいの速さで振ったのか、といったことを計測しています。
柏野: スマートブルペンの大きな特長は、コントロールされた環境下にありながら、実戦に近い状況で計測できる点にあります。現在、身体の動きの計測というと光学式、すなわちカメラで動きを捉えてセンシングするのが主流ですが、そのためには打者や投手の周りに複数台のカメラを立てる必要があり、カメラが邪魔になって実際に球を打つことができません。我々が知りたいのは、あくまでも勝負時のピッチャーとバッターのインタラクションなので、実戦の動きをそのまま捉えることができる慣性センサ方式を採用しているのです。
那須: 一方でスマートブルペンには、固定のカメラが5個、移動式のカメラが2個ありますので、さまざまな角度からの映像を大画面に映して見ることも可能です。計測に来ていただいたアスリートの皆さんには、こうした映像をフィードバックしてご活用いただいています。
柏野: すべてのセンシング情報の時刻を同期させているので、ピッチャーとバッター両者の駆け引きを捉えることができるという意味でも、普段はなかなか知ることができない貴重なデータと言えるでしょう。
打者がいつ球種を見極めているのかを探る
—具体的にどんな実験をしているのですか?
那須: 野球にしろ、ソフトボールにしろ、ボールが投手の手を離れてからバッターに届くまでの時間は0.5秒ほどしかありません。そのわずかな時間で球種を判断して打たなければなりません。その間の選手の判断、身体の動き、反応を捉えようとしています。とりわけ、無自覚的な動きや反応に注目しています。
たとえば、2017年3月に、女子ソフトボール日本代表チームの中心打者である山田恵里選手(日立サンディーバ)をはじめ、日本リーグの選手を対象に、打者がどのようなタイミングで反応しているのかを見るための実験を行いました。実験の課題としては、ピッチャーがストレート(速い球)とチェンジアップ(ゆるい球)という2種類の球をランダムに投げ、バッターはストライクなら打ち、ボールなら見送るというものです。その際の身体の部位の動きを計測したところ、大変興味深い結果が得られました。
柏野: バッターにとっては、チェンジアップが混じると難易度が飛躍的に上がるんですね。あらかじめ速い球しか来ないとわかっていれば、タイミングさえ合わることができれば打てます。ところが、速い球とゆるい球のどちらが来るかわからないとなると、投げられた球に応じてタイミングを合わせるのが非常に難しくなるのです。
—ストレートとチェンジアップでは、時間的にどれくらいの差があるのですか?
那須: 0.15秒ほどです。ほんのわずかと思うかもしれませんが、ストレートならバッターボックスに届くのが0.45秒くらい、チェンジアップなら0.6秒くらいですから、パーセンテージにするとかなり差がありますよね。バッターにとっての時間感覚はかなり違います。
先ほど柏野さんが言ったように、選手に事前に球種を伝えた場合、トップ選手なら、ほぼ打ち返すことができます。身体の動きを見てみると、事前に球がわかっている場合は打ち方も違う。球種をランダムに混ぜるというところがこの実験の肝になります。
打てる打者は、球種に応じたタイミングで動く
那須: 図1は、実験から得られた山田選手(左)と若手選手(右)の比較です。上から手、前腕、上腕、体幹、腰、太もも、脛、足といった具合に、身体の各部位の動きを示しました。速度に応じて、遅いほうから青、緑、黄、オレンジ、赤と、色のグラデーションで表示しています。
図1. 打てる打者はタメを作れる
那須: グラフの下に0と表示されているのが、投手の手から球が離れた瞬間です。左の山田選手を見てみると、ストレートでは0.4秒くらいのところで上半身を中心に速く動いていますが、チェンジアップでは0.6秒よりちょっと前くらいのところで全身を素早く動かしていますね。一方、若手選手は、ストレートでもチェンジアップでも0.5秒弱くらいのところでスイングしていますが、鋭いスイングができていません。
—見比べてみると、動きの質にかなり違いがあるように見えますね。
那須: ええ。図1の下段にあるグラフは、各部位の速度をすべて加算して、時系列で示したものです。それを見ると、山田選手の場合、ストレートとチェンジアップでは線グラフの山のピークがズレています。一方、若手選手のほうは、全体的に山が広がっていて、ストレートとチェンジアップのタイミングの差がほとんど見られません。つまり、山田選手の方は無駄な動きがなく、ストレートとチェンジアップそれぞれでタイミングを合わせて打っているのです。
—若手選手というのは、どういう選手なのですか?
那須: 日本のトップリーグのチームに所属している選手ですが、まだ高校を卒業したばかりの新人です。高校生のときはホームランを何本も打ち、大活躍した選手です。ちなみに、今回の投手はトップリーグのピッチャーにご協力いただきました。やはりトップリーグの投手が相手だと、経験の浅い若手選手にとってはタイミングを合わせることが難しいということですね。
柏野: 高校までとはピッチャーのレベルが全然違いますからね。高校野球で大活躍した選手が、必ずしもプロ野球の世界で活躍できるとは限りません。山田選手は確実に合わせていることから、やはりパフォーマンスに大きな差があることがわかります。
判断できる時間はわずか0.1秒しかない!?
那須: 図2は、腰の回転速度だけに着目して、1回ごとの計測データを重ね合わせたグラフになります。
図2. 腰の回転速度から打者の特徴を捉える
那須: 上段のグラフを見ると、山田選手の場合は、青のストレートと赤のチェンジアップでは、きれいに線グラフの山のピークがずれていますが、右の若手選手の方はピークが揃っていませんね。もっとも、山田選手も毎回、最初から予測できているわけではなくて、0.3秒くらいのところでチェンジアップだと気づいて修正し、タメをつくって打っているように見えるグラフもあります。このように、一流の選手は修正する能力にも長けているのです。
逆に、下段のグラフは、下の0となっているところがバットにボールが当たった瞬間(インパクト)を示しています。インパクトに基準を置くと、今度は、山田選手のタイミングがきれいに揃っていることがわかります。
柏野: 山田選手のほうは、インパクトの少し前に腰が速く回って、その力を腕に伝えてバットを振るという理想的なスイングをしています。そして、毎回、タイミングが安定している。一方、若手選手は、ストレートでは腰の回転が遅れていますね。これでは、強い打球を打ち返すことはできません。
那須: 腰の回転の動きが遅れている場合は、空振りかファウルかのどちらかです。一方、チェンジアップでは、動き出しが早すぎて、タイミングが合っていませんね。
—山田選手の場合は、投手が球を手から離して0.3秒くらいのところで、ちゃんと球種の判断ができているということですね。
那須: 判断の枝分かれが0.3秒くらいということですね。ただし、人間が眼から情報を取得して、身体の動きに反映させるためには、0.15〜0.2秒くらいはかかってしまう。となると、球がリリースされてから少なくとも0.1秒ほどで、バットを振るのか/振らないのかの判断をしなければならない、ということになります。
—そんな短い時間で判断しているというのは驚きです。
トップ選手は何によって球種を判断しているのか
那須: そこで次に、判断のタイミングを調べてみることにしました。実験参加者にバッターボックスに立って、バットのかわりにボタンを持って、球種がストレートだとわかった瞬間にボタンを押してもらいました。その結果、山田選手の正答率は約8割、若手選手は5割でした。5割という数字は、あてずっぽうに押した場合と同じなので、ほとんど判断できていないことになります。ただし、ボタンを押す時間は両者でさほど差はありませんでした。もっとも、若手選手のほうが、押す時間にばらつきがあります(図3)。
図3. 球種の判別は出来ているのか?
—山田さんの8割という数字は、とくに優れているのでしょうか。
那須: じつはその後、ほか十数名の選手で計測してみたところ、山田さんの8割という正答率が必ずしも突出しているわけではないことがわかりました。トップリーグの選手の場合、ストレートとチェンジアップの2種類の判別であれば、ほぼ8〜9割の正答率が得られたのです。
—なるほど。山田さんは、投手の動きから予測しているのでしょうか。
那須: 山田選手にお聞きしたところ、「この投手に関しては、動きからは予測できない」とおっしゃっていました。ストレートとチェンジアップの違いをフォームを見て感じているという自覚はないようです。実際にピッチャーの動きを計測したところ、0.3秒くらいまではストレートもチェンジアップも、ほぼ同じ動きをしていました(図4)。ただし、無自覚的にはフォームの違いを感じている可能性はあります。
図4. 投球フォームからの予測?
優れたピッチャーは、バッターに球種を予測させない
柏野: おそらく、高校生レベルのピッチャーであれば、もっと早い段階で、ストレートなのかチェンジアップなのか、わかってしまうのだと思います。その分、バッターが判断する時間に余裕ができるので、若手選手は活躍できていたのでしょう。
逆に言えば、フォームの癖によって、早々に球種を予測させてしまうピッチャーだと、どんなに速い球を投げることができたとしても、打たれてしまう可能性が高くなります。単純に球が速いか遅いかではなく、打者にどれだけ予測させないか、というのがピッチャーの良し悪しを左右するわけです。
そういう意味では、やはり大リーグで活躍するダルビッシュ有選手は、非常に優れた選手だと言えます。ダルビッシュ選手は、150km/h台のストレートと10種類程度の変化球を投げることができますが、投球フォームを映像で重ねてみると、ボールをリリースするまでほぼ同じ動きで、しかも初期のボールの軌道が極めて似ているのです。ダルビッシュ選手の強さの一端は、ギリギリまで球筋を読まれないことにあると言えるでしょう。
—球種を読まれないように投げるというのは、難しいのですか?
那須: 球種にもよりますが、かなり難しいですね。
柏野: ダルビッシュ選手や上原選手は、同じ球種を違うフォームで投げることもできます。わざと足を上げるタイミングを変えたりするわけです。こうなると、バッターはますます撹乱されてしまう。我々などは投げるだけで精一杯ですから、そんな芸当は到底できません(笑)。
那須: いずれにしても、球筋の判断一つをとっても、レギュラー/非レギュラーを比べると、やはり大きな違いがあることがわかりました。何か判断に役立っているのか、これからさらに詳しく調べようとしているところです。
(取材・文=田井中麻都佳)
Profile
NTT コミュニケーション科学基礎研究所 スポーツ脳科学プロジェクト
編集・ライター/インタープリター。中央大学法学部法律学科卒。科学技術情報誌『ネイチャーインタフェイス』編集長、文科省科学技術・学術審議会情報科学技術委員会専門委員などを歴任。現在は、大学や研究機関、企業のPR誌、書籍を中心に活動中。分野は、科学・技術、音楽など。専門家の言葉をわかりやすく伝える翻訳者(インタープリター)としての役割を追求している。趣味は歌を歌うことと、四十の手習いで始めたヴァイオリン。大人になってから始めたヴァイオリンの上達を目指して奮闘中。