脳・からだ・こころ -SBS Archive- No.2
トップアスリートの謎に迫る(後編)
さまざまな能力を持つアスリートたち
Daiki NASU & Makio KASHINO
2017.12.1
SBSプロジェクトでは、アスリートの計測・分析から、トップアスリートはどんな能力に優れているのかを探っている。「打つ」という行為一つとっても、予測し、判断し、動き、合わせるといったいくつものフェーズがあり、それぞれの場面で必要とされる能力が違うことが見えてきた。パフォーマンス向上のためには、各人の能力に合わせたトレーニングをする必要があるという。トップ選手は、「打たない」という判断、無自覚的な反応に優れている?
—やはり山田恵里選手のようなトップアスリートの場合、球筋を正しく予測して動くことができるということですよね。今後、さらに実験を重ねていくということですが、何が優れていると考えられるのでしょうか?
柏野: じつは、山田選手は実験の前に、「自分は試合の流れの中での読みを重視するタイプなので、今回のような実験は苦手だと思う」とおっしゃっていたんですね。実際に、単なる球種の判別の実験では、山田選手よりも優れている選手もかなりいましたから、山田選手の優れたところは、もっとほかにあると言えます。
—視覚の情報処理が速いとか?
那須: 今後、実際に計測しようと思っていますが、「光った瞬間にボタンを押してください」といったリアクションタイムと言われるような実験では、おそらく一般の人と大差ないのではないかと思います。さまざまな先行研究も示唆していますが、野球選手と一般人を比較しても、そうした反応の差はほとんど見られません。
一方、優れているのは、「Go/No課題」の抑制だと言われています。つまり、ストレートならボタンを押す、チェンジアップだったら押さないというときの押さない判断、抑制の能力が優れているのです。
もう一つ我々が仮説として考えているのが、何かが動いた瞬間に無自覚的に手が追随する反応の速さ、動きの大きさに違いがある、というものです。動くものに対する無自覚的な反応が一流の選手ほど速く、大きいのではないかという仮説を立てて検証しています。
柏野: たとえば、不規則で素早い動きをするゴキブリを叩こうとした場合、見たものに対して身体を動かすという、意識的な視覚運動情報処理では時間がかかってしまい、ゴキブリの動きには対応できません。でも実際には、うまくいけばゴキブリを叩き落とすことができるように、人間には、意識的な視覚運動情報処理とは別に、何かが動いたらパッと無自覚的に追随するシステムがあって、スポーツにはこちらのシステムが役立っている可能性があります。
実際に、反射的な動きに関する実験を大学野球部のレギュラーと非レギュラーで行ったところ、レギュラーのほうが優れているという結果が出ています。今後さらに、実験参加者を増やして、詳しく調べようとしています。
打つまでにはいくつものフェーズがあり、それぞれに求められる能力が違う
那須: ただし、この反応というのは、ストレートかチェンジアップかの判断に役立つというよりも、その後、タイミングを合わせにいく際に役立つものだと思います。バットを振り出してから、無自覚的にコースやタイミングを修正するのに役立つ能力です。
柏野: つまりホームベースに球が届く0.5秒までの間にはさまざまなフェーズがあって、球種を判断し、腰を回し、バットをボールに合わせるといった具合に何段階も分かれていて、人によってそれぞれ優れている能力が違うのだろうと思います。
—いくら球種の判断ができたとしても、打てるとは限らないと。
柏野: ええ。その後に修正が効かないタイプの人もいるでしょうね。あんなに細くて丸いバットに丸い球を当てるわけですから、ちょっとでも当たる角度が変われば、フライになったりゴロになったりするわけで、それを微修正しながら合わせるのは至難の技です。一方で、早い段階で、おおまかなストラテジーを決めて動き出さないと、タイミングを合わせて強い打球を打つことはできません。
そう考えると、見る能力、予測する能力、振るか振らないかを判断する能力、振り出してから追随する能力といったように、打者にはいくつもの重要な能力があって、それによってそのバッターの総合的なパフォーマンスが形づくられていると言えます。だからこそ、ホームランは量産するけれど、三振も多いというバッターがいたりするわけです。
那須: 実際に決め打ちでホームランを量産するタイプや、ホームランは少なくてもどんな球にも合わせてヒットにしてしまうようなイチロー選手のようなタイプなど、さまざまなタイプの野球選手がいますね。
柏野: イチロー選手の場合は、飛ばす能力もあるけれど、良い成績を残すために、あえてどんな球にもアジャストすることを優先するストラテジーを取っているのだと思います。やはり選手それぞれが、自分の能力を活かすために、どの能力を磨くべきなのか見極めることが重要です。
そういう意味では、前半の実験で紹介した若手選手は、素振りの練習をする意味はあまりないでしょう。すでに、バットのスイングスピードだけなら山田選手より優れているくらいです。むしろ、ピッチャーの動きから球筋を正しく判断する能力を養うのがいいと思います。
那須: 前回の実験は3月でしたが、あれからトップリーグの中で揉まれて経験を積み、球種の判断能力が上がっているかもしれません。次回の計測を楽しみにしています。
柏野: 確かに、トップアスリートになればなるほど、さまざまな経験を積み、野球なら野球の、ボクシングならボクシングの動きのモデルが形成されていくのだろうと思います。そのモデルを持つことで、相手の動きから、次にこう来るという兆しを捉えて反応できるようになる。それは単にランプが光ったら速くボタンを押せるといったたぐいの能力とはまったく別の能力です。どうすれば、それぞれのスポーツに即した的確なモデルを持つことができるのか、このプロジェクトを通じて、より深く追究していきたいと考えています。
那須: 我々が最終的にめざしているのは、「あなたはこういう特徴を持っている選手なので、こういう練習をしたほうがいいですよ」と、アスリートに有用なアドバイスを与えることにあります。さらに、そのための練習を強化できるように、ヴァーチャルリアリティ技術などを活用したトレーニングマシンの技術開発をしていきたいと考えています。
野球経験を生かして、実験ではキャッチャーを担当
—ところで、那須さんも野球をなさるんですよね?
那須: 小学2年生から野球を始めて、大学までレギュラーとして続けていました。もともと野手でしたが、高校から大学にかけてキャッチャーを経験し、現在も、実験・計測ではキャッチャーを担当しています。野球に限らず、スポーツは何でも好きで、スポーツに関する仕事をしたいと、大学では保健体育の教員免許も取得しました。
柏野: ここでの実験は、すべて那須くんがキャッチャーをやってくれて非常に助かっています。スピードの速い球や変化球など、どんな球にも対応できるのは那須くんぐらいですから。
那須: プロジェクトメンバーの元プロ投手・福田岳洋さんの球を取れる人がほかにいないので……(笑)。福田さんの球はだいたい130km/hくらいですが、僕が取れるギリギリの速さなのです。
じつは奇遇なことに、福田さんとは一つ違いで、同じ大阪高槻市の出身です。偶然、隣の小・中学校に通っていて、おそらく、当時、対戦したこともあるだろうと。まさか、こんなかたちで球を受けるようになるとは思ってもみませんでした(笑)。
福田さんの球は、ストレートの質もアマチュアとは全然違うのですが、とくに違いを実感するのが変化球です。フォーク、シュート、カーブ、スライダーと、多彩な変化球を投げることができるのですが、大学野球では経験したことのないようなキレがあります。プロで活躍した人の球というのは、全然違うんですね。
—草野球チーム「Tokyo 18’s(エイティーンズ)」では、桑田真澄さんともご一緒されているわけですよね。
那須: ええ。桑田真澄さんと言えば、僕が小学生で野球を始めた頃の巨人の大エースですからね。テレビで見ていた遠い憧れの存在でしかなかったわけで、まさかそんな方と一緒に野球ができるなんて信じられません。このプロジェクトに関われて、本当によかったと思っています。
—どういうきっかけで、プロジェクトに参加することになったのですか?
那須: 岡山大学を卒業した後、大阪大学大学院で博士課程に進んだのですが、その研究室にCS研出身の先生がいらして、そのご縁で6〜7年ほど前に、柏野さんと出会いました。ただ、その頃はスポーツのプロジェクトなどはまだ何もなく、柏野さんのことは、キャッチボール好きで、毎日キャッチボールをやっている研究者として紹介されたのです(笑)。
柏野: お互い何者かもわからないのに、とりあえずキャッチボールをしようと言って、投げ合ったのが最初です。その後、プロジェクトの発足を機に那須くんのことを思い出して、声をかけました。
那須: 年齢のわりにすごい球を投げる人だなぁと思ったのが柏野さんの最初の印象ですが、まさか一緒に研究するようになるとは、本当に人生とは不思議なものですね(笑)。
「正確に的に当てる」という研究でわかったそれぞれのタイプの違い
—那須さんは、大学院ではどのような研究をされていたのですか?
那須: 今と同じで、どうしたら野球のパフォーマンスを向上させることができるか、ということを考えてきました。とくに、似た体格で、同じような経験を積んだ人でも、打てる人、打てない人がいるのはなぜなのか、ということに興味を持っていました。岡山大学では、スポーツバイオメカニクスという分野で、いかに身体を動かすか、いかに速くバットを振るのか、ということに重きを置いていて研究をしていました。
その後、阪大に移ってから、こちらで研究しているような身体の動きを制御する脳しくみの研究に触れ、正確に投げるといった、動きの制御に興味を持つようになりました。
テーマにしたのは、正確に的に当てることを競うダーツ投げです。投げるという行為は、もちろん野球にも共通しますが、考えてみれば、人類は石器時代からマンモスなどを倒すために石や槍を投げてきたわけですよね。猿や類人猿も投げることはできますが、下手投げしかできません。上手投げで正確に的に当てるというのは、人間特有の運動なんですね。
ちょっと哲学的な言い方をすれば、正確に的に当てるという行為は、自分の手が届かない場所に対して変化を与える行為であり、人間ならではの高度な脳や身体の構造があって初めて実現できるものと言えます。
着目したのは、ダーツのうまい人がリリースするタイミングです。正確に投げるためには矢やボールを離すタイミングを厳密に図る必要があります。実際に調べてみた結果、1/1000秒、1/2000秒といった時間でタイミングを制御していることがわかりました。一方で、タイミングはばらつくけれど、正確に当てられる上級者も存在することがわかった。投げるタイミングやスピードがズレると、当然、矢が描く放物線も変わってくるわけですが、そこをうまく調整して投げているのです(図5)。
図5. ダーツ投げにおける異なる二つの運動方略
環境の変化を、身体の動きで調整できるアスリートたち
柏野: コントロールのいい人が、必ずしも投球フォームのばらつきが少ないとは言えないのです。たとえば、桑田真澄さんの投球フォームを計測してみると、意外にばらつきがあります。逆に、だからこそ桑田さんは優れているのではないでしょうか。
というのも、野球のマウンドの状態というのは一球ごとに変わりますし、さまざまに環境が変化します。そのような中でまったく同じパフォーマンスをしていたら、それこそ環境次第で結果が左右されてしまう。一方、桑田さんは、マウンドや自身の身体の変化に合わせて、うまく調整しながら到達点での誤差を最小に抑えているのだと思います。
以前、球をコントロールする際に、タイミングで制御しているのか、それとも位置で制御しているのかと桑田さんに訊ねたところ、「そのどちらでもありません。球をレールに乗せるだけです」とおっしゃったことがあります。つまり、どこでボールを離そうが、球をレールにさえ乗せてしまえば、目的の地点に到達するということですよね。まさに時間と空間がトレードオフとなる状況での正確な身体モデルを持っているのだろうと思います。
那須: ダーツでリリースの時間窓が長くて、タイミングの誤差が大きい上級者も同じことをおっしゃっていましたね。投げる軌道に矢を乗せるだけなんだと。タイミングがバラついても高いパフォーマンスを維持できるように運動を学習するのは、非常に難しい。桑田さんクラスのアスリートだからこそ、体現できることでもあるんですね。
今後、さらにプロジェクトを通じて、そうしたトップアスリートの謎により深く迫りたいと思います。そのためには、これまで以上にトップアスリートの方々にご協力いただいて、計測・解析をしていく必要があります。キャッチャーの仕事をはじめ、スムーズな計測を心がけ、アスリートの方々のパフォーマンス向上に役立つさまざまな結果を示していきたいと思っています。
(取材・文=田井中麻都佳)
Profile
NTT コミュニケーション科学基礎研究所 スポーツ脳科学プロジェクト
編集・ライター/インタープリター。中央大学法学部法律学科卒。科学技術情報誌『ネイチャーインタフェイス』編集長、文科省科学技術・学術審議会情報科学技術委員会専門委員などを歴任。現在は、大学や研究機関、企業のPR誌、書籍を中心に活動中。分野は、科学・技術、音楽など。専門家の言葉をわかりやすく伝える翻訳者(インタープリター)としての役割を追求している。趣味は歌を歌うことと、四十の手習いで始めたヴァイオリン。大人になってから始めたヴァイオリンの上達を目指して奮闘中。