脳・からだ・こころ -SBS Archive- No.9
ドラムと研究の両輪で、音楽と人間の本質に迫る(前編)
奏者からドラマー研究の開拓者へ
Shinya FUJII & Makio KASHINO
2022.3.15
今回のゲストである藤井進也氏は、ドラマー研究という新領域を開拓する若き研究者だ。藤井氏は大学時代、寝食を忘れるほどドラムに打ち込み、プロになろうかと迷いながらも、研究者の道を選択。プレイヤーの視点を持ちつつ、一流の奏者であるために何が必要なのか、良い音楽を奏でるとはどういうことなのかを、身体と脳の研究を通して追究している。柏野牧夫氏もまた、スポーツ脳科学の研究において、自ら実践者であることを旨としてきた。プレイヤー目線を持つ研究者同士が、共通の問題意識とめざすべき研究について語り合った。(*こちらの記事は過去に「Sports Brain Science Project」および「Hearing X -『聞こえ』の森羅万象へ -」に掲載されたものをアーカイブとして公開しています。)
田舎に育ち、ドラムと出合う
—まず、藤井さんのドラマーの研究について伺いたいのですが、その前に、なぜ、ドラマーを対象に身体と脳の研究をされているのか、きっかけを教えてください。
藤井: 私の出身は、兵庫県丹波篠山市というところで、同級生の半分はイノシシ、あとの半分は黒豆というくらい、すごい田舎で育ったんですね(笑)。
柏野: それは境遇が近いですね。私の出身は岡山県の山間部なので。
藤井: じゃあ、自然に囲まれて育ったんですね。
柏野: もうほとんど静止画の世界です(笑)。津山線の駅のホームに立って、次の汽車を2時間くらい待っても、ほぼ何も起こらない。そういうところで生まれ育ちました。
藤井: いやぁ、非常に似ています。私も毎日、道すがら氷柱を取ったりしながら、1時間かけて歩いて小学校まで通っていました。あとは、剣道を通じて礼儀を教わりました。いまはドラマーとして、スティックを握っていますけれど。
柏野: 棒が好きなんだ?
藤井: そう、棒が好き(笑)。棒を持って何かをするという意味では、ずっと共通しています。
柏野: 私はどちらかというと、球のほうが好きです。投げたくなるんですね。
藤井: なるほど。私は握って叩くタイプです(笑)。
—いつからドラムを始められたのですか?
藤井: 中学3年のときです。じつは最初はギターをやっていたんですよ。同級生にかっこよくギターを弾く子がいて、憧れて私もギターを買ったのです。ほどなく、同級生4人と私の5人で一緒にスタジオで練習しようという話になって、集まってみたら全員ギターだったという(笑)。ところが、篠山唯一のスタジオには2チャンネル入力のアンプが2つ、つまりギターは4人分しかつなげることができかった。しかも、皆、私よりもギターが上手いわけです(笑)。
で、ふと見ると、スタジオに煌びやかなドラムセットがあって、これはなんだ?と。これを叩かないのはもったいないと思い、スティックを握って奏でてみると、すごく気持ちよかったんですね。自分が身体を動かすと音が返ってくるというのがなんとも言えない快感で、「これをやりたい!」と思ったのが、ドラムとの最初の出合いでした。それまで、自発的に何かをやるということはなかったのですが、初めて両親にドラムをやりたいと宣言して、始めました。
—ドラムセットを買って自宅で練習していたのですか?
藤井: いえいえ、週刊少年ジャンプを机に積んでドラム代わりにしていました(笑)。買ったのは、スティックと練習パッドぐらい。憧れていた村上ポンタ秀一モデルのスティックを買っていましたね。
柏野: そういうところも共感するなぁ。いろいろなものを買い揃えられるような恵まれた環境になかったので、何かやりたいとなったら、自分でつくっていましたから。
藤井: そう、つくる。少年ジャンプを積む高さを変えて、1冊だとスネアドラム、2冊だとタムタムといった具合です。シンバルの代わりは竹刀ケースでした(笑)。そしてひたすら練習をする日々を送っていました。
ドラムの練習とライブ通いで、単位をすべて落とす
—最初からフュージョンやジャズを演奏されていたのですか?
藤井: 最初はJ-Popを聴いていたのですが、篠山にあったヤマハ音楽教室に通うようになったら、そこで教えていた先生がジャズやフュージョンが大好きなマニアックな方で、すっかり影響を受けました。先生からいきなり、「こんなすごい人がいるんだぞ」と、バディ・リッチやスティーブ・スミス、T-SQUAREの則武裕之さんなんかのビデオを渡されて、感化されていきました。彼らの奏でる、流れるような音の連打や、淀みなく身体の動きを制御する様に魅了されましたね。自分もこんなふうに奏でたいと思ったし、このときに受けた刺激が、後に身体運動と音の研究へとつながる原体験になったと言えます。
ドラム以外は、勉強ばかりしていたので、ドラムを叩く時間が唯一の息抜きだったし、生きていると実感する瞬間でもありました。
—ライブを見に行くといったことはなかったのですか?
藤井: 篠山ですから、ほとんどありませんでした。それが、京都大学に行って爆発してしまった。田舎の純朴な青年が、京都に出てきて、好きなことをやっていいと言われて、ドラムを叩きまくることになったわけです。京都には、ジャズやブルースのライブスポットがいくもあって、好きなだけ聴きに行ける環境にもありました。一人暮らしなので、夜中まで出歩いても、いくら練習しても誰にも文句も言われません。ひたすら練習をして、ライブに行くというのが、大学1年のときの生活でした。
さらに、1年の途中で、音楽の専門学校にも通い始めてしまい、その結果、やらかしてしまうんですね。大学の単位をすべて落としてしまったのです(笑)。
柏野: 京大は、単位を落としても進級できるでしょ?
藤井: 当時、単位は落としても「降ってくる」と言われていたんですけど、本当にゼロだった(笑)。降ってきたら拾いに行かないといけないけれど、無視してドラムを叩いていたので。
そういう状況になって初めて、自分の人生について深く考え込んでしまったんですね。両親に応援されて、自分も努力して大学に入って、高い授業料も払っているのに、ドラムとライブハウス通いしかやっていないというのはどうなんだろう、と思ったのです。
自分が夢中になれる「ドラムを叩くこと」を研究の対象に
—授業に出ていなかったのですか?
藤井: 出ていたけど、ほとんど寝ていました。面白くないというか、つかれた顔をした教授の先生が出てきて、高校の延長のような感じで授業をしているのを見ても、人間味を感じられませんでした。それよりも、ミュージシャンの人たちの魂の演奏を間近で見ているほうが、よほど人間の面白さを感じることができたんですね。
でも、単位をすべて落として悩んでしまったわけです。そもそも研究ってなんだろう、と。そこで、その答えを求めて、教授の先生たちに聞きまくるという作戦に出ることにしました(笑)。京大にはマニアックな研究に人生をかけているような先生がたくさんいらっしゃったので、そうした先生たちに、研究のモチベーションは何かとか、いつ研究者になろうと決めたのかとか、手当たり次第聞きまくりました。
あるとき、地学の研究者で、石の成分の研究をされている先生に、「なぜ研究をしているのですか?」と質問したんですね。身を乗り出して答えを待っていたら、一言目が、「うーん、わからんなあ」だった。自分の人生なのにわからないとはどういうことなのかと衝撃を受けたわけですが、いまから思うと、正直な反応だったのだろうと思います。そして、二言目に、「山岳サークルに入っていて、友達と山に登っておいしい空気を吸うと、自分が生きていると感じたからかな」とおっしゃったのです。この答えを聞いて、あぁ、そういうことかと悟ったわけです。
何か人生の選択をするときに、普段の生活のなかで好きでやっていることや、自分が生きていると実感できることがカギを握っている、ということだと理解したんですね。自分にとっては、それこそがドラムだと気づいたわけです。
それ以来、キャンパスライフが急激に変わりました。手始めに、ドラマーについてどれくらい研究されているのかを調べてみたところ、数件しかありませんでした。身体運動や動作解析の研究などにドラマーを対象としているものがほとんどないことを知って、興奮しましたね。これこそが、自分がやるべきことなんじゃないかと思えたわけです。
そこからは、ありとあらゆる研究室を訪問して、「自分は世界一のドラマー研究者になりたい。ドラムが上手くなる方法を追究して、自分自身がいちばん上手いドラマーになりたい。そういう研究はここでできますか?」と聞いて回ったのです。もう、バカですよね(笑)。
そこで出会ったのが、恩師の小田伸午先生です。小田先生はスポーツ科学の研究者で、トップアスリートの身体の使い方や心のありようを京都大学で研究されていたのですが、これらの知見はミュージシャンにも通じるものがあると感じました。すでに、バイオメカニクス(生体力学)やモーターコントロール(運動制御)などの研究分野でいろいろな知見が蓄積されているのだとしたら、それをミュージシャンに生かさない手はありません。もし、知見を転用できれば、世界が大きく広がるだろうとワクワクしました。
ドラマー研究という新領域を開拓する
—そこから研究者の道に突進していかれたわけですね。
藤井: はい。卒論は「トップドラマーのスティッキングは何が優れているのか〜最速タッピング間隔と力の解析」というテーマでした。できるだけ速くスティックで連打するときの打撃力を圧力センサーで調べて、プロのドラマーの場合、どれくらい速く叩けるのか、またどれほど安定した一定の力と時間間隔で叩いているのか、といったことを測りました。その後、博士を取るまでに、上手いドラマーと未熟なドラマーの筋肉の使い方のちがいを筋電図から明らかにしたり、1分間に1200回も叩くことができる世界最速ドラマーの筋活動を調べたりしました。
さらに、両手の動きの協調を再現しようと、非線形力学モデルを使って、上手い人と下手な人の叩き方を再現する数理モデルをつくりました。これには興奮しました。パラメーターを変えると、上手い叩き方、下手な叩き方が再現できるというもので、上手い人と下手な人のちがいを数学的に説明することに成功したわけですから。当時、ノートパソコンで解析していて、画面に結果が出た瞬間、いま、この真理を知っているのは自分だけなんだと思って、ものすごく興奮したことを憶えています。それまで、数学にはあまり興味を持てなかったのですが、私が数学を勉強してきたのは、この研究のためだったのかと思えたほどです。
このとき最初に書いた論文で、いきなり『Nature』や『Science』といったトップジャーナルにも挑戦しました。結果はダメだったのですが、当時、憧れていた研究者からレビューをもらって嬉しかったですね。
ちなみに、修士の途中から、京大に籍を置きつつ、東京大学に通うようになりました。「巧み科学」の研究をされていた東京大学大学院総合文化研究科の大築立志先生、工藤和俊先生、現在はCiNet(脳情報通信研究センター)に在籍されている平島雅也先生、東京大学大学院教育学研究科の野崎大地先生、多賀厳太郎先生など、その分野の第一人者に指導を仰ぎました。その頃から、柏野先生のお名前もよく聞いていました。研究をするようになってからは、こうした先生方から、筋電図の解析や動作解析のやり方を教わり、プログラミングのスキルを身につけたりして、ひたすらドラマー研究の分野を開拓する日々でした。
—ご研究と並行してドラムの練習もされていたのですか?
藤井: していましたね。
—学部のときに通っていらした音楽学校はどうされたのでしょう?
藤井: 音楽学校には、学部2年から4年まで通っていました。特待生だったんですよ。特待生になると学費が免除になるのです。その間、たくさんのミュージシャンの方と知り合いになって、セッションに呼んでいただいたりしていました。3年目からは、ジャズドラマーの方のローディー、つまりライブのときに楽器を運んだり弟子としてついて回る仕事もしていました。
—プロになる気はなかったのですか?
藤井: ありました。2度くらい迷いました。1度目は音楽の専門学校でバンド活動をしていたとき。自分の全精力を注ぎ込んでも惜しくないと思えるバンドで演奏していて、叩いているときはいつ死んでもいいと思ったほどです。ただ、私のなかで二足の草鞋を履くのはよろしくないという考えがあったんですね。
—世間には別の仕事をやりながらミュージシャンとして成功している人もいますよね。
藤井: 固定観念に囚われていたのかなぁ。ミュージシャンというのは命を賭けてやるもので、中途半端だと、真のプロの領域には到達できないと思っていたんですね。
「巧みな演奏」と「よい音楽を奏でる」ということ
藤井: あるとき、ドラムの師匠からこんなことを言われたことがあるんですね。「藤井、おまえ、ドラムが上手くなりたかったら、ドラムを叩くな」、と。これ、どういう意味かわかります?
柏野: いろいろ解釈はできますが、「表層的なところにこだわるな」ってことですかね。
藤井: あぁ、さすがですね。
柏野: スキルをどのレベルで捉えるのか、ということかなと。テクニックを磨いて上手くなるとか、反復練習を続けて動きを安定させるといったことと、「音楽を奏でる」ということは別の面があるじゃないですか。
藤井: さすが柏野先生。そう、まさにそういうことをおっしゃっていると思ったんですね。当時の私はテクニックに走っていたので、もっと上のレベル、奏でるレベルがある、というふうにおっしゃっていたのだろうと思います。
その師匠から、「俺と同じことをやるな!」と怒られたことがありました。憧れているから真似しているのに、なんで怒られるのか意味がわからなかった。でも、師匠に言わせると、「そんなのはジャズじゃない。俺のやっている文脈で同じことをやるのならまだ許せるけれど、全然ちがう文脈でかたちだけ真似をしても、そんなのはちがうだろ」、と。そう言われて初めて、もっともだよなと納得しました。
柏野: それは真理だなぁ。そういうところに指導者のレベルが垣間見えると思うんですね。スポーツでも、こうやれと言って表層的なかたちだけを教える人と、最終的に何を実現したいのかを踏まえたうえで指導する人と、分かれます。だから桑田真澄さんは、「スピードガンは捨てなさい」って言うんですね。
藤井: へぇ。
柏野: ピッチャーの目的は試合に勝つことですよね。そのためには、バッターに打たれないことが大事なわけです。打たれないことと、球速がいくらだとか、回転数がどうだなんてことはあまり関係がない。数値がいくら良くても、勝てない投手はたくさんいるわけで、そういう表層的なものに囚われていたら本質を見失うと言っていました。
藤井: あぁ、そうなんです! そのあたりが、スポーツと音楽って似ていると思ったんですよ。師匠から、「おまえ、良い音楽をつくらないとダメだぞ。上手い下手じゃない。下手でも良い音楽はいいし、上手くても良い音楽を奏でられない奴はいっぱいいる」と言われていたのですが、まさにそういうことですよね。
柏野: それこそが最大の問題で、じゃあ、何をもってして「良い」と思うんだろう?となる。良い音楽の要件とはなんぞや、ということですよね。これを研究で明らかにできると面白いんだけど。
藤井: 私の研究も、最終的にはそういうところに迫りたいと思っています。師匠から教わったのは、自分のありのままを出さなければ、トッププロの領域には行けないということでした。借りてきたものを表層的に身に纏っただけでは、いずれメッキが剥がれてしまう。本当に自分自身に向き合って、自分自身がやりたいことをとことん追究するという領域に行かないと、いい音楽はできないと理解したんですね。
そこで改めて、自分という人間を裸にしてみたら、ドラムが大好きで、研究も大好きで、その両方をやろうとしているのがまぎれもなく自分自身であって、二者択一でどちらかを選択する必要はない、ありのままの自分で行けばいいんじゃないかな、と思えるようになりました。
そう考えたときに、研究者としてはちょっと甘いと思っていたところもあったので、ある日、ドラムの師匠に、「私は研究に専念するので休ませてください」と言ったのです。「あなたみたいな人間になりたいから、私は研究をします」と言って別れました。その日以来、師匠には会っていません。
—お会いしていないんですか?
藤井: ええ、そこからは研究一筋で来ました。でもやっぱり、研究と並行していまもドラムを叩いています。最近は、小田急電鉄さんとの共同研究で、小田急線の発着の時間をサウンドに変換して、そのリズムと一緒にセッションしました。YouTubeにアップしてあります。朝のダイヤは複雑だけど、昼になるにつれ落ち着いて、夜はまた複雑になる、みたいな。
研究の道を歩むと決めてからは、どうやって研究者としてのレベルを上げていくのかに注力してきました。身体から入り、次第に脳に興味が出てきて、現在は音楽家の身体を制御している神経系を調べているところです。やはり根本的な問題を解かなければならないと思っています。
まだ見ぬ Xに、実践と知見の両面から迫りたい
—現在、柏野さんと共同研究をなさっているということですが、どういう経緯で始まったのですか?
藤井: 前から一方的にお名前は存じ上げていましたし、柏野さんが書かれた『音のイリュージョン』(岩波科学ライブラリー)にはたいへん感銘も受けていたのですが、実際にお会いしたのは比較的最近なのです。
当時、「優れた演奏とは何か」といった音楽の本質的なことや、一流のプレイヤーが感じていること、というのを調べたいと思っていたわけですが、計測しようとしても、パラメーターが多すぎて何を見ているのがわからないといった状況に陥っていたんですね。当然、ちゃんと計測しようとすればコントロールした状況下でしか測れないし、計測する機会も限られているわけですが、それではなかなか本質に迫ることができません。そうしたなかで、ビッグデータを使った機械学習やセンシングの手法が急速に発展してきたこともあって、リアルな人間の問題に迫れるようになってきた、というのが背景にあります。
そこで、まだ見ぬ音楽の研究を大々的にやろうと、「音楽神経科学」と「エクス・ミュージック」という2つのラボを慶應SFCで設立して、研究を始めることにしたのです。ラボのキャッチフレーズは、「音楽の未知のために 未知の音楽のために」です。「音楽神経科学」は、サイエンティフィックに、音楽の未知を知るためのラボ、「エクス・ミュージック」は、アーティスティックに、未知の音楽を創るためのラボです。エクス(X)というのは、未知数のX、つまりまだ見ぬ次の領域という意味もあるし、領域を掛け算する、クロスさせるという意味もあるし、さらにはeXtremeとかeXperimentのXでもある。いろいろな意味を込めています。
そのタイミングで、柏野さんと偶然的、いや必然的に出会うことができた、という感じです。
柏野: いろんな偶然が重なりました。ちょうど2020年から柏野多様脳特別研究室のメンバーとなった本田一暁さんが、藤井さんの研究室に通っていたというのもあるし、同じくメンバーの福田岳洋さんが、京大で藤井さんの後輩だったということもあるし。
藤井: そうなんですよ。ほんと面白いご縁で、偶然にもアスリートとミュージシャンと研究者が三位一体で研究できる環境が整ったわけです。
柏野: それにしても奇遇なのは、この記事を掲載するサイト自体が“Hearing X”という名前なんですよ。
藤井: 一緒じゃないですか! ミラクルだ(笑)。
柏野: というかね、ほとんど私と同じようなことを言っていますからね、藤井さんは。めちゃめちゃ共感するわけです。同志だな。
藤井: 本当ですか。よかった!
柏野: 知行合一と言う言葉がありますが、研究のアプローチとして、自分でやること、つまり実践することと、知るということの両面から迫るという態度も同じですよね。
藤井: そうそう。
柏野: いままで、知ることと実践することが独立しすぎていたと思うんですね。文武両道も同じですが、実践を伴わない知には意味がない、ということですよね、本来は。知識だけでもダメだし、ただ闇雲に練習をすればいいというものでもない。両方がうまく融合して初めて次の高みに行けるということだと思います。
そして、実践する人自身が研究することの利点というは、プレイヤーの気持ちがわかるところにある。実践しない人がいくら計測しようとしても、プレイヤーからは共感は得られませんからね。
藤井: 非常によくわかります。
柏野: 研究者の中には、「数字は嘘をつかない」などと言って、計測結果や理屈を押し付けようとする人もいる。それだと、プレイヤーは、「じゃあやってみろよ」と反発しますよね。私はもちろんプロのようにはできないけれど、少なくとも、うまくなるのは難しいとか、理屈通りには身体は動かないとか、身をもって感じているし、それゆえの問題意識もある。
藤井: そう、まさにドラマーである自分がドラマー研究をやる意義はそこですよ。そして、これまで明らかにされてこなかった音楽の本質に迫りたいからこそ、Xと名付けたわけです。
複雑さとサイエンスの間で新たな道を探る
柏野: もっとも、これを究めるのはそんなに簡単なことじゃないですけどね。野球選手を計測して何かわかったとしても、それですぐに自分が上手になるわけでもないですし。しかも、これをサイエンスのコンテキストのなかでやるというのが難しい。
藤井: それもすごくよくわかります。
柏野: リアルワールドの現象は複雑すぎるので、サイエンスの文脈に落とし込もうとすると、どうしても対象を分割せざるを得ません。しかし、果たしてそれで解こうとしている問題に迫れるのか、というジレンマがつねについて回ります。
論文を書くためには、要素に還元して、この条件とこの条件を比較したら有意差があったといったように一つひとつ関係性を丁寧に解いていく必要があるわけですが、現実の世界はさまざまな要因が複雑にインタラクションしていて、そう単純ではありません。いくら分割していっても、現実の問題を解くことにはなかなかつながらないんですね。
一方で、スポーツの実戦を研究対象にするなんて、10年前だったらそれこそ無謀な研究だと一蹴されてきたわけですが、テクノロジーの進展に伴い、計算処理にしろ、センサーにしろ、道具立てが揃いつつあります。だからこそ、野蛮と言われようとも、現実の問題を扱うサイエンスに飛び込んでみようと思ったのです。もちろん、論文を投稿すれば、条件の統制が足りないとか、ここはもう少し詰めたほうがいいなどと言われたりします。そんなことはわかっているけれど、統制しすぎたら、現実の問題からはかけ離れてしまう。そういうなかで研究成果を生むというのは難産ですねぇ。
藤井: まさに難産です。
柏野: しかし、こういう手法をとる限りは、知行合一をめざすしかない。
藤井: 完全に同志ですね。いま、多くのミュージシャンの方たち、本当に第一線で活躍されているようなミュージシャンの方たちが、僕たちと一緒に研究をしたいとおしゃってくださっています。ミュージシャンの方たちのなかにも、良い音楽とは何かとか、人類における音楽の意味とか何かとか、そういったさまざまなXを追求したいというニーズが出てきていると感じます。
柏野: シンクロニシティですね。スポーツもまったく同じです。ほんの少し前まで、トップアスリートの方の多くは研究なんてまったく興味がなかったんですよ。それこそトラウマというか、計測したところで何の役にも立たなかったという経験をされていましたからね。自分たちはモルモットじゃない、という気持ちがあったのではないでしょうか。ところが、いまやスポーツアナリティクスが全盛です。とくに若いトップアスリート、ダルビッシュ有や大谷翔平なども、計測したり分析したりということを、当たり前のように取り入れ始めています。むしろ求めているわけですね。
スポーツや音楽に限らず、さまざまな業界で同時多発的に、新しいサイエンスに期待する気運が高まっているのかもしれません。
(取材・文=田井中麻都佳)
Profile
慶應義塾大学環境情報学部 准教授/音楽神経科学研究室・エクス・ミュージック研究室 室長
編集・ライター/インタープリター。中央大学法学部法律学科卒。科学技術情報誌『ネイチャーインタフェイス』編集長、文科省科学技術・学術審議会情報科学技術委員会専門委員などを歴任。現在は、大学や研究機関、企業のPR誌、書籍を中心に活動中。分野は、科学・技術、音楽など。専門家の言葉をわかりやすく伝える翻訳者(インタープリター)としての役割を追求している。趣味は歌を歌うことと、四十の手習いで始めたヴァイオリン。大人になってから始めたヴァイオリンの上達を目指して奮闘中。