脳・からだ・こころ -SBS Archive- No.9
ドラムと研究の両輪で、音楽と人間の本質に迫る(後編)
多様性のサイエンスから人間とは何かを解き明かしたい
Shinya FUJII & Makio KASHINO
2022.3.15
現在、柏野氏と藤井氏らは、ドラマーのジストニアをテーマに共同研究を進めている。ジストニアとは、自らの意思とは関係なく身体が動いてしまうなど、身体運動の制御ができなくなるという、ミュージシャン生命を脅かす難病だ。ジストニアに苦しむプロのドラマーを対象に、どういった状況下で症状が出るのか、そのときどのような神経活動が起こっているのかを明らかにして、メカニズムの解明に迫ることで、ジストニアや、スポーツの世界で問題となっているイップスの治療法につなげたいという。同時に、人間の多様性に焦点を当てつつ、リズムに合わせるという人間の特異な能力を通して、音楽と人の本質に迫る未踏の研究にも挑戦していく。(*こちらの記事は過去に「Sports Brain Science Project」および「Hearing X -『聞こえ』の森羅万象へ -」に掲載されたものをアーカイブとして公開しています。)
ドラマー人生を壊す「ジストニア」の解明へ
—藤井さんと柏野さんの共同研究は、ドラマーのジストニアがテーマということですが、どのようなご研究なのですか?
藤井: 発端は、RADWIMPSのドラマーで、ジストニアを発症して、現在、長期に休養されている山口智史さんとの出会いでした。共通の知人がいて、山口さんをご紹介いただいたのがきっかけです。
初めて山口さんにお会いしたとき、あたかも昔から知っている同志みたいな気分になりました。ドラマー同士、会話のリズムがグルーヴして、心が共鳴したような気分でした。ジストニアでドラムを叩きたくても叩けないという状況が、どれほど辛いことか伝わってきて、心に沁みました。ジストニアという病気に対する世間の理解が進んでいないし、助けを求めようにも、そもそも原因自体が解明されていません。これはなんとかしなければならないと思い、柏野さんにご相談して、一緒に山口さんの計測を始めることにしたのです。
—演奏家の方が不幸にもジストニアを発症するという話はときどき聞きますが、ドラマーの方に多いのでしょうか?
藤井: 山口さんの実感では、潜在的に多くのプロドラマーがジストニアに苦しんでいるのではないかとおっしゃっていました。実際に研究をはじめてみると、研究に参加したいというプロのドラマーの方がたくさんいらっしゃることを実感しています。
ドラマーは、手足を見事に協調して演奏しますよね。それだけでも脳の学習としてはすごいことですが、他にも自分の演奏をメトロノームやプログラミング演奏に正確に合わせたり、バンド・メンバーや他のミュージシャンの高い要求に応えたり、楽曲や演奏全体が調和するようにしたり。ドラマーの脳と身体は、さまざまな高い要求に応えるために、本当にものすごいレベルで適応していると思います。そんなドラマーの脳に、光と影があるんです。
—ドラマーの脳に光と影があるとは?
藤井: 光の部分は、素晴らしい演奏であり、音楽の感動です。たゆまぬ努力を積み重ねて、脳と身体を極限まで研ぎ究めたドラマーやミュージシャン達のおかげで、私たちは音楽の感動という光を感じることができます。でもその影で、ジストニアに苦しむドラマーやミュージシャンがいるんです。大好きな音楽を演奏できない、しかも原因が何かよくわからないなんて、なんとかしたいじゃないですか。でも、その理由を解き明かすための科学が、まだまだ音楽と結びついていないと思うんです。
そのためにも、音楽は科学で扱う領域ではない、というこれまでの固定観念を打ち壊していく必要があります。そもそも、日本の総合大学に音楽学部がないこと自体がおかしいと思うんですね。音楽というのはアカデミックに追究すべき領域だと思うし、そういう流れをつくっていきたい。そのための同志を集めて、研究を加速していきたいと思っています。
柏野: アスリートも同様の問題を抱えています。ジストニアと同じく、思うように身体を動かすことができなくなるイップスで選手生命を絶たれるという悲劇はたくさん起こっていて、我々もこれをなんとかしたいと考えてきました。結局、ミュージシャンのジストニアもアスリートのイップスも、練習の副産物なんですね。プロになるために死ぬほど練習した人でなければ発症しないわけで、練習して上達していくプロセスにおいて、何らかの状況が重なって脳神経のパラメータが変わることで、劇的に不具合が生じることがある、と考えられます。そこをちゃんと解明しなければならない。そうしないと、いつまでもメンタルの問題として片付けられてしまうからです。
藤井: 本当にそうですよね。
柏野: 指導者のなかには、「自分がイップスであることを受け入れない限り乗り越えられないぞ」などと、精神論を唱える人がいますからね。
藤井: 音楽家も同じです。本人がメンタルの問題だと捉えてしまったり、練習が足りないんじゃないかと思い込んでしまったりする。そうやって練習を重ねて、余計にダメになってしまう人もいます。
柏野: だいたい、真面目なタイプの人ほどなりやすいんですね。
藤井: そう、いい人ほどジストニアになりやすい印象で、やりきれない気持ちになります。ドラムが大好きで、音楽に真摯に向き合っている方ばかりなので。そういう方が音楽をやりたいのにできないというのは本当に辛いことだと思います。そうやって苦しんでいる方たちの助けになれるよう、成果をあげていきたいですね。
筋肉や脳の活動を調べて、メカニズムに迫る
—どういうアプローチでジストニアに迫ろうとしているのですか?
藤井: まずは、これまで私がやってきた筋電図の計測など、身体運動の計測をしています。症状が出ているときと、出ていないときで、どのように筋の協調性がちがっているのか、さらにはどのように神経系がコーディネイトされているのかに迫りたいと思っています。これと並行して、眼の瞬きや瞳孔の変化など、生理学的な計測も進めているところです。
もう一つ、脳の可塑的な変化を計測したいと考えています。以前、私がポスドクをしていた米国のハーバード大学では、音楽家の脳を計測するとともに、医学的な応用研究が進んでいました。音楽家の脳では、あらゆる領域に適応的変化が見られて、聴覚野だけでなく、感覚運動野や脳梁、小脳や皮質脊髄路、大脳基底核など、脳のあらゆる場所で構造的・機能的な変化が起こっていることが報告されています。音楽家のジストニアに関する脳の構造的・機能的な特徴も少しずつ明らかにされていますが、ドラマーの脳に関する研究は圧倒的に不足しています。なので、ジストニアで悩むドラマーの方々の脳内で何が起きているのかを調べたいと思っています。
—どうやって調べるのですか?
藤井: MRI(磁気共鳴画像法)で脳活動や脳構造を見たり、TMS(経頭蓋磁気刺激法)を使った脳刺激によりその反応を観察したり、あるいはTMSと脳波を組み合わせて反応を見たりと、複数の方法を試しながら、理解を深めていきたいと思っています。
柏野: そもそも現象自体が整理されていないということもあります。たとえば、イップスの正体自体がよくわかっていないんですね。これと事情がよく似ているのが自閉スペクトラム症です。定義もされているし、診断基準もあるけれど、関わる遺伝子も神経部位も、ふるまい、つまり表現型もさまざまで、それをすべてひっくるめて一つの障害とすることで、どこに問題があるのか見えにくくなっているのです。自閉スペクトラム症と一言で言っても、実際には饒舌な人もいれば、まったくしゃべらない人もいます。非常に知能に優れた人もいれば、知的障害のある方たちもいます。そういう方たちをすべて一括りにしているわけですから、共通する要因を見つけ出すのは非常に難しいのです。
だからまずは、どういう表現型のタイプがあるのかとか、主にこういう条件下で症状が現れやすいといったことも調べていかなければなりません。調べていった結果、全てに共通するメカニズムがあるかどうかもわかりません。自閉スペクトラム症の場合も、世界中の研究者が調べていて膨大な知見が得られている一方で、いまだに原因となる遺伝子も脳の構造や機能の問題も、すべてが明らかにはなっているわけではないんですね。少なくとも、この遺伝子、この脳部位に問題があれば自閉スペクトラム症である、というような話にはなっていません。つまり単一の原因があるというわけではないということです。それが自閉スペクトラム症の本質であって、いろいろなものの組み合わせで起こる障害の総称なのです。イップスもジストニアも、現状はそれ以前の段階というか、それこそ症状は千差万別なのに、かなり乱暴に一括りにされています。
藤井: 確かに、ドラマーの方を計測してみると、人によって症状の出方は全然ちがうんですね。
柏野: 自閉スペクトラム症の研究者のなかには、実際に当事者と触れたことのない研究者も少なからずいます。とくに、AIの進展に伴い、こうした分野からも多くの研究者が参入してきていますが、ある部分についてモデル化できましたなどと言っていても、対象を極端に単純化してしまっているケースも見受けられます。現実はそんなものではない、ということはよくあるんですね。私自身、臨床の研究者ではないし、現実の症例を見る機会はけっして多くありません。だからこそ、自戒を込めて、できるだけたくさんの当事者に触れることが非常に重要だと思っているのです。先入観を持たず、観察・分類するところから始めないと、架空のものを対象に研究を進めてしてしまう危険性があります。
多様性に目を向けるサイエンスを
—素人が聴いても、ジストニアの症状が出ているというのは明白にわかるのですか?
藤井: それもいろいろで、プロのドラマーの方同士が聴いても、まったくわからないケースもあります。
—それでも、ご自身のなかでは違和感があるということですね?
柏野: そう。イップスでも、まったく思い通りに動けなくて、投球のたびに耳を擦ってしまい、血だらけになってしまうような人もいれば、側から見ればわからないけれど、本人によれば思うように投げられないと感じている、というレベルの方もいます。
—ジストニアを患って回復される方もいらっしゃるんですよね?
藤井: 残念ながら、いままでお会いしたドラマーの方は皆さん、辞める選択をされていました。いろいろ試されているけれど、完璧に治したという方にはまだ出会っていません。
ただ、イギリスの研究者で、ご自身がジストニアを患って、独自の方法で治した人がいて、どうやって回復されたのか、お話を伺ったことがあります。症状が出るとき/出ないときの動きをいろいろ試しながら、これならいけるという動きを探していくことで、再び演奏できるようになったとおっしゃっていました。とはいえ、まだまだメカニズムは解明されていませんし、もっと深く研究していく必要があると思っています。最終的には、治療法の解明につなげていきたいと考えています。
柏野: 治すためには、やはりメカニズムがわかったほうがいいですからね。臨床の現場では原因やしくみの解明を待っていては遅いので、まず対症療法で効くかどうか試してみるということが一般的に行われているわけですが、我々は臨床の最前線にいるわけではありませんし、メカニズムがわからないままに介入して悪化させるようなことがあってはなりません。やはり、サイエンティストとしてメカニズムの解明に貢献するのが最優先だと思っています。
藤井: それから、法則性を見つけ出すために平均化して答えを導き出すという従来の科学の営みのなかに、千差万別な症例をどう結びつけていくのか、というのが非常に大きな課題だと思っています。
柏野: まさにそうなんですね。真っ当な研究では、個人差の問題、つまり個人差を単なるばらつきと捉え、平均をもって標準的な人間であると考えて、共通する原理を導き出すべき、という不文律がありますが、そもそも人間の本質というのは多様性にあるわけで、むしろ多様なバリエーションを見ていく方向性に、学問自体がシフトしていくべきなんじゃないかと思っています。
—ちょっと飛躍してしまいますが、これまでオリンピックとパラリンピックといったかたちで、健常者と障がいのある方を分けてきたことに通底するお話だと思います。つまり、分けることで、人間の多様さから目をそらしてきた側面があるように思うんですね。
柏野: そう、パラリンピックが面白いのは、それぞれの障がいの程度がちがっていて、ソリューションもそれぞれちがっているのに、一つの競技で競うというところですよね。パラリンピックの選手たちは、ゴールに向かうために、自分の身体の事情に合わせて最適な方法を編み出しています。少しでも速く走ることがゴールだとしても、それを実現する方法や身体の使い方は人それぞれですよね。
ところが、健常者ではそこが見えにくくなっている。本当はオリンピックだって同じで、個人差はものすごくあります。100m走にしたって、それぞれの体格や筋力によってアプローチはちがうはずです。サイエンスにおいても、人間の多様性に迫るために、従来のやり方とはちがう、新しいアプローチやモデルをつくっていかなければならないと感じています。
藤井: 私が博士論文で研究対象とした世界最速ドラマーの方というのは、当然ながら世界に一人しかいません。通常の人が1秒間に片手で6~7回くらい叩くところを、片手で10回叩けるという超人です。
この方は、一見すると腕を動かす際の動作がめちゃくちゃ小さくて、けっこう力んでドラムを叩いているように見えるんですね。ところが実際に筋電図検査で手首の筋活動を計測してみると、見た目とは全然ちがっていたのです。私が計測した全ドラマーの中で、手首の筋の共収縮水準が最も低くて、誰よりも脱力していました。また、筋活動のタイミングもまったくちがいました。ノンドラマーや普通のドラマーは、手首を曲げて叩いた後に伸筋の活動がピークを迎え、その後に手首が伸びてきます。ところが、世界最速ドラマーは、手首を曲げて叩いている瞬間にすでに伸筋の活動が終わりを迎えるフェーズに入っていました。これは、行為の前に未来の筋活動が終わっていることを意味しています。
そういう特異な人を対象としたわけですが、論文として認められ、学位につながったんですね。多様性に迫るサイエンスの一つの姿を示す、やりがいのある研究だったと思っています。
柏野: 我々がトップアスリートを研究の対象にしているのも、同じなんですね。人間はここまでできるという人間の能力の極限を見ることで、人間への理解をより深めることができるわけで、たとえ対象が一人、つまりn=1であっても意味のある研究だと思っています。
実際、神経科学の分野では、たとえn=1であっても、意味のある研究というのはたくさんあります。てんかん治療のために脳の海馬を切除したために、その後、重篤な健忘症を患ったことで知られるHMさんはその代表で、この方をひたすら研究することで、脳機能の研究が大いに発展したことは有名です。こういういった研究成果は、統計に頼る研究では、けっして生まれないわけですよね。
藤井: 以前、赤ちゃんの研究で『PLOS ONE』というジャーナルに出た論文があるのですが、これは3〜4カ月の赤ちゃんにダンスミュージックを聴いてもらい、音の拍子にシンクロナイゼーションするのかを調べたものなのです。面白いことに、100人中2人くらいものすごくシンクロして踊る子がいるんですよ。要するに、100人のうち数人は3〜4カ月からすでに音楽のリズムにシンクロして手足を動かしていました。
柏野: へぇ、それはたいへん興味深いですね。リズムにシンクロできる動物って、ほとんどいないんですよ。人間とオウムと特別な象、アシカくらいでしょうか。リズムに反応する/しないが何に起因するのか、非常に興味があります。
リズムに合わせるという能力を調べて、人間の本質を探る
藤井: ビートに人間がなぜシンクロするのか、というのは私にとっては非常に大きな研究テーマの一つなのですが、音楽に合わせて手拍子を打ったり、コンサートで音楽のノリに合わせて身体を揺らしたりというのは、じつはすごい能力なんですよね。ひょっとすると、それは言語を話すという機能と関わっているかもしれない。非常に複雑な音波の刺激に対して、拍子を感じて、自分の身体運動を同期させる、しかも予測的に合わせていくというのは、非常に知的な脳の情報処理機能がなければ成立しないからです。
じつは、ハーバード大学にいたときに、リズム音痴の研究もしていました。リズム音痴の方というのは、100人中数人ほどしかいないのですが、当事者を探すために、リズム音痴かどうかを測るハーバードビート評価テストというのをつくったのです。
柏野: それは使ってみたいですね。じつは自閉スペクトラム症の人というのは、運動が苦手な人が多いと言われていますが、リズムに乗るのも苦手とされているのです。
藤井: そうなんですね。
柏野: 自閉スペクトラム症の方たちは一般に、他者とのコミュニケーションが難しいと言われていますが、もしかすると、コミュニケーションのベースにリズムに乗るという能力が関係しているのかもしれません。話し言葉や身振り手振りなどのリズムとシンクロする能力が、コミュニケーションにおいては重要な役割を果たしている可能性はあります。
人間の場合、あるリズムのパターンの速度を変えたとしても、それがもとのパターンと同じであることを認識できます。ところがサルの場合、トレーニングしてもこれを同じものだと認識するのは難しいのです。トレーニングすれば、100ミリ秒間隔、200ミリ秒間隔、300ミリ秒間隔といった具合に区別はできるけれど、それがすべて同じリズムパターンであることは認識できない。つまり、人間のリズムに対する能力というのは、非常にフレキシビリティが高いわけです。
藤井: 面白いですね。音楽のサイエンスって、人間のサイエンスだと思っていて、これを解くと人間自体をもう少し深く理解することができると思うんですね。つまり、人とは何か、ということに迫れるのではないかと。一方、ミュージシャンの方たちが音楽で追求しようとしていることも、じつは私がやろうとしていることと、見ている景色は同じなんじゃないかという気がしています。音楽を楽しんでいる人間の本質に迫るというのは、非常にエキサイティングなやりがいのある研究です。それは、私が最初にドラムに出合い、リズムに身体をシンクロさせたときの感動に迫ることでもあります。
柏野: リズムを合わせるということが報酬、つまり快感であるということでしょうね。だから、リズムがずれていると気持ちが悪い。
藤井: そうなんです。なぜ、人間がここまで音楽に魅せられるのか、報酬だとしたら、どのように脳の機能と絡んでいるのか、それを解明することができれば、人間が人間たるゆえんが少し理解できるのではないかと思っています。
柏野: 私自身は、音楽が好きだからこそ、これまで音楽そのものの研究を遠ざけてきたところがあるのですが、やはりどこかでずっと音楽の研究をしたいと思ってきました。なかでもいま、一番、興味があるのがリズムの研究なのです。
藤井: そうなんですか? それは嬉しいなぁ。
柏野: なぜ、リズムかというと、音楽の原点がリズムだと考えているからです。つまり、ハーモニーやメロディがなくても、音楽は成り立ちますよね。もちろん、ジョンケージみたいに、639年かけて演奏するなんていう音楽もあるけれど、基本的にはリズムなしに音楽というのは成立しないと思うからです。そして、それが先ほど藤井さんも言っていたように、言語やコミュニケーションのベースになっている可能性は多いにある。そこに迫りたいと考えています。
藤井: また同志が増えましたね(笑)。それこそが私のドラマーとして、そして研究者としての根本ですから。
柏野: しかもリズムというのは、スポーツにおいても非常に重要な要素です。たとえば内野ゴロを捕るとき、中南米の内野手と日本の内野手では、リズム感がまったくちがいます。サッカーのフェイントなどもそうですが、身体の動きのベースにリズムがあって、それがプレイにも大きく影響します。それくらいリズム感というのは人間の動きのベースになっているし、人間の本質にも関わっているものだと思っています。
藤井: いやぁ、音楽をサイエンスするという動きをともに大きくしていきたいですね。先ほども言ったように、日本の総合大学には音楽学部はないけれど、ハーバード大学やスタンフォード大学には当たり前のようにあって、研究者自身が音楽を奏でながら研究に取り組んでいます。そうありたいし、音楽を通じて人間の本質に迫りたい。そうすることで、人間が人間らしく、心豊かに生きていくことができることに役立つのではないかと思っています。ぜひ、今後ともご一緒に研究をさせていただければと思います。
柏野: こちらこそ引き続きよろしくお願いします。
—本日は長時間にわたり、ありがとうございました。
(取材・文=田井中麻都佳)
Profile
慶應義塾大学環境情報学部 准教授/音楽神経科学研究室・エクス・ミュージック研究室 室長
編集・ライター/インタープリター。中央大学法学部法律学科卒。科学技術情報誌『ネイチャーインタフェイス』編集長、文科省科学技術・学術審議会情報科学技術委員会専門委員などを歴任。現在は、大学や研究機関、企業のPR誌、書籍を中心に活動中。分野は、科学・技術、音楽など。専門家の言葉をわかりやすく伝える翻訳者(インタープリター)としての役割を追求している。趣味は歌を歌うことと、四十の手習いで始めたヴァイオリン。大人になってから始めたヴァイオリンの上達を目指して奮闘中。