SPECIAL CONTENTS 「勝てる脳」のきたえ方 「心」と「技」に脳科学で迫る 連載第1回 (前編) | 2016.2.18

身体の操り方と心のコントロールの仕方を探りたい (前編)

スポーツ上達のための「心」と「技」に迫る研究

スポーツにおいて身体を最適に操り、精神状態をうまくコントロールできるよう、効率的にパフォーマンスを高めるための方法論を探ろうとしている「Sports Brain Science Project(スポーツ脳科学プロジェクト)」。その基本的な考え方とは?


スポーツ上達のための「心」と「技」に迫る研究

—「Sports Brain Science Project(スポーツ脳科学プロジェクト)」とは、どのような研究なのでしょうか?

柏野 スポーツ選手がパフォーマンスを高めたり、試合で勝とうとしたりするためには、「身体を強くする」、つまり筋肉をきたえたり、心肺機能を高めたりしなければならない、と考える人がほとんどだと思います。それはもちろんとても重要なことですし、スポーツの上達に欠かせない要素です。しかし、我々の研究の目的はそこにはありません。なぜなら、ただ身体を強くするだけでは不十分だからです。

我々は、人間が持てる力を最大限に発揮するために、「身体をいかに最適に操るか」、あるいは「精神状態をいかにうまくコントロールするか」というところに主眼を置いて研究をしています。スポーツで不可欠とされる「心・技・体」は本来一つのもので切り離せませんが、従来は研究にせよ、トレーニングにせよ「体」だけを取り出して扱ってきました。そこで、これまで軽視されてきた「」と「」の側面に光を当てつつ、本来の心技体の姿を探ろうとしているのです。

—なぜ、「心」と「技」に着目されたのですか?

柏野 ご存知のように、「体」の研究、すなわち筋力や心肺機能を高める研究は、運動生理学に基づく効率的なトレーニング法がさまざまに提案されていて、すでに活用されています。ところが、「心」や「技」の領域では、科学的知見に基づく体系的なトレーニング法は確立されていません。そうした中、近年、その未知の領域を切り拓くさまざまな道具が揃ってきました。ウェアラブルセンサ※1やヴァーチャルリアリティ※2、機械学習※3といった、最先端の情報通信技術(ICT:Information and Communication Technology)です。そこで、これらの最先端のICTを使って、あたらしいトレーニング法を見出そうとしているのです。

ちなみに、「心」や「技」というのは、脳が司っている部分が非常に大きいため、こうした研究は脳科学の対象になります。なかでも、「認知脳科学」とか「認知神経科学」という分野のターゲットです。


※1 ウェアラブルセンサ(Wearable sensor)
身につけることで、心拍や体動、眼球の動きなどの生体情報を取得するセンサのこと。腕時計型や指輪型、眼鏡型、胸に貼り付ける小型なもの、衣服や靴、帽子として着用できるものなど、さまざまなものがある。

※2 ヴァーチャルリアリティ(Virtual Reality)
ユーザの感覚を刺激することで、体感を生み出す技術のこと。日本バーチャルリアリティ学会では、「見かけや形は原物ではないが、本質的あるいは効果としては現実であり原物であること」と定義している。

※3 機械学習
人間の学習能力と同様の機能をコンピュータで実現しようとする技術・手法のこと。大量に集めたデータから学習することにより、そこに潜む規則やルール、パターンなどを見つけ出し、予測などに活用する。

無自覚で自動的な動きや、潜在能力に迫りたい

—認知神経科学というのは、心、あるいは認知的機能が脳の神経回路によってどのように生み出されるかを解き明かす学問ですね。その中で、今回の研究のキーワードを教えてください。

柏野 「潜在脳機能」です。潜在というのは、「自覚されない活動」のこと。潜在の逆は「顕在」で、こちらは意識の中に昇ってくるもの、言葉のように論理的に操作できたり、明確な知識として認識できたりするもののことを言います。スポーツの世界では、この意識できる顕在よりも、意識されない潜在のほうがはるかに大きな割合を占めていると考えられます。そして、我々はこの「潜在」という言葉をダブルミーニングで使っています。

一つ目は、本人が意識できない、無自覚で自動的な動きや反応です。球技や格闘技なんかの場合、トップレベルともなると、まずもって非常に速いですよね。たとえば、野球のバッティングなら、ボールがピッチャーの手から放たれてホームベースを通過するまで、わずか0.5 秒ほど。日本ハムの大谷翔平投手のような時速160kmの球を投げる投手が相手なら、0.4 秒ほどしかありません。この間に球筋を見極めて、打つか/打たないかを判断しなければならない。つまり、バッターは非常に短い時間の中で、十分な情報を得られないまま、最適な判断を下さなければならないということです。

—ちょっと、想像できない速さですね。1秒ないってことだから……。

柏野 そうですよね。テレビの野球中継ではあまり実感できないかもしれませんが、実際にプロの選手の投球を間近に見ると、ほんと一瞬ですよ。よかったらYouTubeなどでダルビッシュ投手や大谷投手のブルペンの様子を映した映像を見てみてください(笑)。

0.4〜0.5秒という時間では、意識して、決断して、それから動いたのでは絶対に間に合いません。クリーンヒットを打つということは、こんなハードな問題を脳が解くということなんですね。「考えた」という意識はまったくなかったとしても。これは脳科学にとって、非常に興味深いテーマの一つです。

二つ目は、いわゆる「潜在能力」と呼ばれるものです。要するに、その人の中にまだ発揮されていない能力が眠っていて、それを呼び覚ますための方法論を探ろうとしています。たとえば、初めて逆上がりができたときのことを思い出してください。逆上がりができるようになったからといって、その前後で、急に筋力がアップしたわけではないですよね。そうではなくて、コツをつかんだから突然できるようになったのでしょう。これは、脳が身体をどう動かせばいいのか最適に指令を出せるようになった、身体のコーディネーションを学習したということにほかなりません。言い換えれば、身体と脳の活動パターンが変化した、と捉えることができます。

このように、脳を変えるにはどうすればいいのかに我々は主眼を置いている。すなわち、意識しないで勝手に身体が動いてしまう「潜在」の領域において、「脳をきたえる」ことで自在に心身をコントロールする方法を探ろうとしているのです。

(取材・文=田井中麻都佳)


柏野 牧夫 / Makio KASHINO, Ph.D. [ Website ]
1964年 岡山生まれ。1989年、東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。博士(心理学)。 NTTフェロー (NTT コミュニケーション科学基礎研究所 柏野多様脳特別研究室 室長)、東京工業大学工学院情報通信系特定教授、東京大学大学院教育学研究科客員教授。 著書に『音のイリュージョン~知覚を生み出す脳の戦略~』(岩波書店、2010)、『空耳の科学―だまされる耳、聞き分ける脳』(ヤマハミュージックメディア、2012)他。

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