
脳と身体で起きていることを捉え、
勝つためのエッセンスと手法を探る(前編)
ICTを活用して、脳と身体の反応を包括的に捉える
潜在脳機能のプロセスを探る際、人間の身体を外から見たときに表れるさまざまな反応が手掛かりとなる。それらを包括的に集め、蓄積して、解析する。データマイニングと仮説検証の組み合わせが、この研究のアプローチである。
ICTを活用して、脳と身体の反応を包括的に捉える
—連載第1回では、Sports Brain Science Project(スポーツ脳科学プロジェクト)がどのような研究なのか、その考え方と柏野さんご自身の研究のモチベーションについてお訊きしました。今回は、研究の具体的なアプローチについて教えてください。
柏野 研究をスタートさせた2014年から約5年をめどに、情報通信技術(ICT)を最大限に活用して、スポーツに関わる潜在脳機能を解明し、その知見に基づいたスポーツ上達支援法を開発したい、というのが我々の研究の狙いです。
研究のステップとしては、三つあります。第1のステップは、スポーツ中に、個々の選手やチームにおいて、脳と身体で起きていることを包括的に捉えます。計測の対象となるのは、心電位※1、筋電位※2、呼吸、脳波、身体各部の加速度、眼球運動などで、これらをある一部ではなく、全体として包括的に捉え、それらの関係性を分析することによって、脳の状態をある程度推定することが可能になります。前回もお話したように、そうした表面に表れる身体の反応から、意識できない脳の活動、すなわち「潜在脳機能」のプロセスを推定することができると考えています。
しかも、こうした情報を選手の動きの邪魔にならないように、無拘束かつ非侵襲※3に計測しようとしています。要するに、いま、起きていることを、ありのまま捉えようとしているんですね。いろいろなセンサで測る際に、選手の動きを邪魔するようでは、真のデータは得られませんから。そこで欠かせないのが、身体に装着できて、さまざまな生体情報を取得できる最先端のウェアラブルセンサです。つまりこの研究は、スポーツ計測の新しい手法を開発するための研究でもあるのです。

熟達に応じた脳の違いを見てみたい
—まずは潜在脳機能のプロセスを探るために、脳の活動とそこから生じる自律神経の働きなどを、最先端のウェアラブルセンサを使ってさまざまな角度から計測されるということですね。これがいわゆる大量の多種多様なビッグデータになると。
柏野 そうです。そして第2のステップでは、捉えた包括的な情報からパフォーマンスの向上につながるようなエッセンスを抽出します。たとえば、スポーツ時の脳の活動パターンが、初級者、中級者、上級者では何がどう違っているのかを見てみたい。さらに上級者の中でも、日本一と世界一のアスリートでは何がどう違うのか、ということを探ろうとしています。
当たり前ですが、そこにはやはり違いがあります。もちろん身体の形や筋力、心肺機能も違うかもしれませんが、それだけではありません。身体の動かし方や脳の働きにも決定的な違いがあると考えています。そうした差異が明確にわかれば、少しでも上手い人に近づけるように脳の活動や身体の動かし方を調整することにより、パフォーマンスを向上できるはずです。
ここで役立つのが、近年、実環境データの解析で成果を上げている機械学習の技術です。機械学習というと、最近はユーザの購買行動の分析や株価の予測など、さまざまな分野で活用されていますよね。
まずは、とにかくデータを集める。次に機械学習の技術を用いて、スポーツ上達のために不可欠な本質的な要因、すなわちエッセンスを発見していく。「データに語らせる」というデータドリブンな手法と、実験室型の仮説検証型の手法を組み合わせて、優れたパフォーマンスの背後にある脳の働きを解明しようとしています。
※1 心電位
心臓の拍動にともなう心筋の活動電位のこと。その様子をグラフとして記録した波形が心電図。
※2 筋電位
筋肉の動きにともなう個々の筋線維から発生した活動電位のこと。
※3 非侵襲
「生体を傷つけないような」という意味。皮膚に針を刺したり、体内に器具を挿入したりしないで、計測したり手術をしたりする手法のこと。


ゴルフ筋電(プロとアマチュア)の音スペクトログラム図
(取材・文=田井中麻都佳)
1964年 岡山生まれ。1989年、東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。博士(心理学)。 NTTフェロー (NTT コミュニケーション科学基礎研究所 柏野多様脳特別研究室 室長)、東京工業大学工学院情報通信系特定教授、東京大学大学院教育学研究科客員教授。 著書に『音のイリュージョン~知覚を生み出す脳の戦略~』(岩波書店、2010)、『空耳の科学―だまされる耳、聞き分ける脳』(ヤマハミュージックメディア、2012)他。
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