SPECIAL CONTENTS 「勝てる脳」のきたえ方 「心」と「技」に脳科学で迫る 連載第7回 (前編) | 2017.2.14

プロ野球投手から研究者へ(前編)

身体の使い方、意識の持ち方がプロへの道を拓いた

25歳でプロ野球選手になり、2013年、30歳で現役を引退した横浜DeNAベイスターズの元投手、福田岳洋氏。その福田氏が、2017年1月より、「Sports Brain Science Project(スポーツ脳科学プロジェクト)」のリサーチスペシャリストとして、新メンバーに加わった。京都大学大学院で学んだスポーツ科学の知見とプロ野球選手としての貴重な経験を携えて、研究者としての歩みをスタートさせた福田氏に、プロジェクト参加へのいきさつと、研究者として、アスリートとして抱えてきた問題意識について聞く。


キャッチボールの縁でふたたび研究者へ

—2017年1月から、元プロ野球投手である福田さんがスポーツ脳科学プロジェクトのメンバーに加わり、プロジェクトがますます盛り上がってきましたね。そもそも、福田さんがなぜSBSプロジェクトに参加されることになったのか、柏野さんとの出会いも含めて、きっかけを教えてください。

福田 柏野さんとの出会いは、プロ野球投手を引退して会計事務所に身を寄せつつ、大学院受験を控えた2014年に遡ります。京都大学の大学院時代のゼミの先輩で、現在、東大で助教をされている方から、中澤公孝教授の研究室で野球の計測をやるから来ないか、と声をかけてもらったのがきっかけでした。

柏野 その中澤研の計測の現場で初めて会って、いきなりキャッチボールをしたんですよね。その場に桑田真澄さんもいらして、桑田さんとキャッチボールをさせていただいたもその時が初めてでしたが、その後、福田さんにも声をかけさせていただいたのです。桑田さんは、グローブを構えたその位置にスパーンとまっすぐ球が飛んでくるといった感じで、その正確な球筋に非常に驚いたのですが、福田さんはその日はちょっと球が荒れぎみで、しかも球がめちゃくちゃ速いので、ちょっとでも油断したら、これは本当に死ぬな、と(笑)。プロの投手の球を至近距離で見るのも、ましてや受けるのも初めてでしたし、全然、球質が違うことを実感しました。

福田 僕としては、プロを引退してまだそれほど日が経っていなかったし、とにかくボールを投げたかったんですね。柏野さんにキャッチボールしましょうと声をかけてもらって嬉しくて、しかも桑田さんとキャッチボールができるくらいの人だから大丈夫だろうと、ついテンションが上がってしまい、思いっきり投げてしまいました(笑)。さらにその後、中澤研の夏合宿にも参加させてもらい、そこでも一緒に試合をさせていただきました。

ちょうどその頃、今後の身の振り方について考えていて、中澤先生や柏野さんとの出会いを通じて、プロ野球投手の経験を生かしながら、研究者としてスポーツ科学の研究にもう一度携わりたいという思いが次第に強くなっていきました。そして今回、柏野さんにプロジェクトに加わらないかと声をかけていただき、2017年1月から正式にプロジェクトに参加させていただくことになったというわけです。

柏野 こちらとしては、プロジェクトを進める中で、アスリートの現場と研究の現場の両方の言語を解する人が必要だと痛感していました。これまでのスポーツ科学の研究では、研究者とアスリートの言語や論理の違いが障壁になってうまくいかなかった例が少なくありません。お互いにメリットがある関係でなければ、研究者が一方的に計測したいと言っても、アスリートの協力は得られませんからね。とくに日本では、研究者とアスリートの距離は非常に遠いのが現状です。双方の立場を経験し、その間をつなぐことができる数少ない一人が、福田さんだったというわけです。

福田 声をかけていただいたときには、スポーツビジネスの研究をしていたこともあり、ビジネスの現場からのオファーや、野球チームから監督に就任してほしいといったお誘いもいただいていました。いずれも魅力的なお話でしたが、やはり研究を続けたいという思いが強かったことと、このプロジェクトには、これまで自分が研究者として、そしてアスリートとして感じてきた問題意識につながるところが大いにあると感じ、参加を決意しました。

実は、メンバーに加わる前に、ここCS研に被験者として2度ほど来たことがあるんですよ。

柏野 よく私が講演などで、元プロ野球投手と草野球投手を比較した、筋活動のパターンの違いなどのデータを出していますが、あの元プロ野球投手というのは、実は福田さんです。もちろん、草野球投手のほうは私です。

—そうだったんですね! 実際に計測してみて、いかがでしたか?

福田 京大にいた頃も、自分で筋電センサを貼って計測したりしていましたが、その当時はまだ無線ではなく、投球といった激しい動きを測ることは技術的にできませんでした。一方ここでは、導電性の機能素材hitoeをはじめとするウェアラブルセンサなどを使って、実際の投球に関するデータを計測できるため、かなり実用的になったと感じています。

モーションキャプチャシステムによる計測風景

脱力のためには、ゆっくり投げる練習が効果的

柏野 私自身、福田さんとの計測結果の比較は大変興味深いものでした。プロの人の球はスパーンと飛んでくるのに、見た目にはものすごく力を抜いて楽に投げているんですね。そこが素人と大きく異なる点です。そして、実際に筋活動を測ってみたら、やはりまったく力んでいないことがわかりました。力が入るポイントと脱力しているポイントの違いが明確で、まさに球をリリースする瞬間にだけ力が入っていて、キレがいい。一方、自分は投げる前も後も不必要に力が入っていて、いかに無駄な力を使っているか、比較してみて初めてわかりました。写真をいくら見比べても、そうしたことはわかりませんからね。

福田さんとのキャッチボールで印象に残っているのが、軽くゆっくり投げる練習です。日頃は一生懸命投げる練習ばかりしていたので、これが非常に難しい。考えてみれば、上手い人というのは制御できる範囲が広いんですね。楽器や歌でもピアニッシモで美しい音を奏でるというのはとても難しいけれど、プロの人は、ピアニッシモからフォルテッシモまで段階ごとにちゃんと音を鳴らし分けることができますよね。これと同じで、ゆっくり弱く投げるというのはすごく難しいのです。今でも大きな課題です。

福田 そうですね。ゆっくり軽く投げるのが一番難しいし、力を抜くための一番いいトレーニング法だと思います。僕自身、高校生の頃は、いかに速い球を投げるかという練習ばかりしていましたが、プロに入る前の独立リーグで、がむしゃらに投げていては、シーズン中持たないと実感したのです。そのとき、元プロ野球選手のコーチから教わったのが、ゆっくりきれいなフォームで投げる練習でした。ゆっくり投げるためには、体幹を意識して、身体の隅々にまで意識を配る必要があります。その練習の中で、自分の欠点が明らかになり、その部分を意識してトレーニングするようにしました。

そうした自分の経験を踏まえて、柏野さんとキャッチボールをした際に、力を抜くには、ゆっくり投げる練習をするといいですよ、とアドバイスさせていただいたのです。じつは、この脱力というのは、京都大学時代の自分の研究の重要なテーマにもなっています。

ちなみに、ボールを投げるのは最終的に手先ですが、僕は、鼻をかんだティッシュをゴミ箱に手でポンと投げ入れるイメージで投げているんですよ(笑)。どんなフォームで投げようが、最終的にはいかに手首を脱力して速く振るか、というのがポイントになります。

—それは意外です! そんな軽いイメージを持って投げていらしたんですね。

意識を変え、身体の使い方を身につけた大学院時代

—大学院では、どんなご研究をされていたのですか?

福田 京大では小田伸午教授のもとで行動制御学の研究をしていました。大まかに言うと、歩き方とか走り方などの身体の動かし方、すなわち姿勢制御の研究です。僕自身は、ピッチングの姿勢の安定/不安定がどうフォームに影響を与えるのかをテーマにしていました。研究室の先輩の中には、ボールのばらつきの研究をされている方もいましたね。

—なぜ、大学院に進学されたのですか?

福田 小学校2年生から野球をやってきて、ずっとプロになりたいと思っていたけれど、大学4年生のときにプロに行くことができなかったんですね。でも、野球が好きだから、何らかのかたちで関わりたいと思い、大学院でスポーツ科学の研究を究めようと思ったのです。そこで姿勢制御の研究と出会い、自らを被験者として研究する中で、実際に自分の身体の動かし方がとてもよくなっていったのです。当時は、クラブチームに所属して、週末だけ野球をするといった環境でしたが、それでも、身体の使い方が上手くなり、野球自体がよくなったのには驚きました。

—何か、特別なトレーニングをされたのでしょうか?

福田 意識を変えたことが大きなポイントです。まず、普段から姿勢を意識するようにしました。さらに、ボールを投げる際に身体の一カ所だけに意識を置くようにしました。これは、小田先生の「両側性筋出力における運動制御」に関する研究に基づくトレーニング法です。両側性筋出力時における機能の低下とは、右手も左手も片手ずつの計測なら60kgの握力が出る人でも、両手に握力計を握って測ると、それぞれ10%程度、握力が低下してしまうという現象です。そういった意識の置き方を知り、ボールを投げる際も、全身に力を入れようと思うと本来の力が発揮できないので、一カ所だけに意識を集中するといった身体の使い方に変化させた、というわけです。

このやり方を小田先生は、「意識を外す」と表現されていましたが、つまり、ボールを投げることに集中するのではなく、別のところに意識を置くことで、逆に力が発揮できるというメカニズムです。これまで、自分では100%の力を出しているつもりでしたが、そうではなかったわけですね。そこで、姿勢を安定させて、一つのところにだけ—たとえば、投球時に左手のグローブのところにだけ意識を集中して力を入れる、というシンプルなやり方を試してみたら、余分な力が抜けて、みるみる身体の使い方がよくなっていったのです。先ほどの脱力の話にも通じる話なんですね。

そのとき僕は22歳だったのですが、ある時、独立リーグ監督から、それだけの球が投げられるのなら、今からプロに挑戦してみないか、と声をかけていただいたのがプロへのきっかけになりました。小田先生に相談したところ、アスリートとして成功すれば最高だし、そうでなかったとしても、独立リーグで選手として多くのことを経験することは研究者としても絶対に役立つから、ぜひ、挑戦してこいと後押ししていただきました。結局、大学院を休学して、すぐに独立リーグに挑戦し、その後、プロへの道が拓かれた、というわけです。

—意識の持ち方で、身体の使い方が変わり、プロにまでなられたというのは興味深いですね。

柏野 意識を他へ向けるというのは、非常に重要なんだと思います。自分の場合は自分の身体ではなく、あそこに狙って投げようとか、桑田さんからアドバイスされたように、大きなたらいを投げるイメージで投げるとか、身体以外に意識を向けたほうががうまくいくように思います。

あるいは、身体であっても、肘や腕など投げることに直接関係ある場所ではないところに意識を向ける、というのもアリかもしれません。この前、あるプロの投手から、つま先を浮かせて投げてみてください、とアドバイスされたんですね。それまで、つま先を意識したことはありませんでしたが、浮かせてみると、自然に拇指丘が下がって、拇指丘とかかとのアーチで地面をぐっと掴めるようになり、安定して投げられるようになりました。歩くのも楽になったんですよ。

福田 そう、気になっているところに意識を向けるより、別のところに意識を外すというのは、重要かもしれません。プロのときに緊張すると、視野が狭くなってバッターしか見えなくなってしまうので、意識をリセットするためにも、投げる前に横浜スタジアムの照明の、決まった場所をじっと見ていましたね。意識が自分の身体に向くと、緊張しているときはとくにうまくいかないものです。そうした問題意識は、研究者のときも、そして投手としてもずっと持ち続けてきました。

(取材・文=田井中麻都佳)


福田 岳洋 / ふくだ たけひろ
NTT コミュニケーション科学基礎研究所 スポーツ脳科学プロジェクト リサーチスペシャリスト

柏野 牧夫 / Makio KASHINO, Ph.D. [ Website ]
1964年 岡山生まれ。1989年、東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。博士(心理学)。 NTTフェロー (NTT コミュニケーション科学基礎研究所 柏野多様脳特別研究室 室長)、東京工業大学工学院情報通信系特定教授、東京大学大学院教育学研究科客員教授。 著書に『音のイリュージョン~知覚を生み出す脳の戦略~』(岩波書店、2010)、『空耳の科学―だまされる耳、聞き分ける脳』(ヤマハミュージックメディア、2012)他。

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